新年度とコロナ第三弾

新年度が始まり通常なら4月はいろいろとバタバタする季節です。最近は暖冬で桜の開花も早まっていますが、この時期に満開の桜を見ると誰もがほっとします。しかし今年の新年度はちょっと違います。まず入学式や入社式が自粛や中止されています。多くの人間が一か所に集まることはご法度ですので致し方ありません。今後はネットなどの遠隔操作で自宅から式への参加が一層進んでいくかもしれません。しかし先月の日本中の卒業式の自粛や中止は本当に残念でした。百歩譲って始まりはネットで良いとしても終わりは生身の人間ですから人と人との触れ合いができる現地集合の式が必要です。これは100年経って「どこでもドア」発明されて移動手段が変わったとしてもその時、その場所にいること自体が重要です。記憶の中に永遠に焼き付けるためにはデジタル画像よりもアナログの生画像を個人個人の脳の中にデジタル画像として焼き付けなければなりません。ただ各学校が工夫して思い出の残る手作りの卒業式が挙行されたのは災い転じて福となすと言ってもいいでしょう。

他にも4月から多くの制度が変わります。現在の新型コロナ対策を最優先させるためにお役所は制度の変更を延期するかもしれないと思っていましたが、当然のことながら融通はきかないようです。多分、突然の制度の変更や中止する方が大変なのでしょう。「たられば」という言葉は嫌いですが、もし消費増税が1年遅ければ間違いなく中止になっていたでしょう。しかし一度変更したものを政府としてなかなか旗を降ろすことは困難で、その他のありとあらゆる手段を駆使して現金給付や無利子融資などで社会が元に戻るまで続けることになります。そうすると結局は増税した以上にお金を使ったことになりますが、見えない敵との戦いでは仕方ありません。

一方で敵である新型コロナの正体も徐々にわかってきて現在世界中で必死にワクチンや薬の開発が進められています。ただ今回は誰も経験したことのない免疫のない敵ですのである程度人々の体に侵入して自らの免疫を活性化させなければ制圧できません。実際に8割の患者さんは軽症もしくは無症状で終わるのですから、この数年で人口の8割は自然にコロナに感染して抵抗力がつきます。皆が免疫を持てばそんなに恐ろしい病気ではないのです。しかし2割が重症化しますので今後はその2割の患者さんを中心にした医療体制を充実させなければなりません。そのためにはなるべく爆発的に流行すると医療が追いつかなくなり2割の患者さんが危険に曝されるのです。だから政府や東京都は躍起になって自粛要請をしたのです。しかし自粛も限度があります。今は仕方ありませんが、徐々に通常の社会に戻していかないと本当に社会機能が麻痺してしまいます。アクセルとブレーキ、自粛と再開をバランスよく慎重に進めないといけません。またTokyo2020は1年後の7月23日に延期が決定され、Tokyo2021を無事に開催することがこの見えない敵に打ち勝った証になるのです。

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プライドは邪魔なだけで初心忘れるべからず

先週から当院の事務に新人スタッフが入職しました。スタッフの入退職自体はよくあることですが、新卒のスタッフの入職は滅多にありません。過去20年に一度だけ高卒の新人さんに当院で数年間働いてもらったことがありますが、それも10年近く前のことです。自分でもそうでしたが、卒業して最初の職場はとても緊張してストレスの塊なのですが、長い人生の後に振り返ってみると物事に対して一番真摯で前向きです。そして見ることする事全てが初めてのため緊張の連続ですが、無知のためわからない事は何の恥ずかしげもなく質問できます。しかし年数が経過してくると「こんな事を聞くのは恥ずかしい」などと変なプライドが入り混じって素直に聞くことができないことが多々でてきます。以前の自分もそうでした。昔の話ですが、よくある少しプライドがあって人には聞けない過去の自分を人には何でも聞ける現在の自分に変えてくれた出来事がありました。新人の時の初心忘れるべからずの教訓として老婆心ながら過去の記憶を紐解いてみたいと思います。

医師になって最初の半年は研修期間で本当に右も左もわからないため全ての事に対してイエスマンしかあり得ません。それは先輩医師以外の看護師や薬剤師など全てのスタッフに対しても身分上は自分が上であっても経験年数からすれば全ての事に対して返事はイエスしかありません。しかしそこで仕事をいろいろ覚えていきます。相手もいずれは本当の自分の上司になる相手に対して「先生、何してんですか!」と厳しい言葉を浴びせてきますが、それも後になると有難い叱責なのです。その時はなかなか当人にはわかりません。

半年過ぎて研修先から派遣先の病院に変わると中身は全くの0.1人前ですが、周囲のスタッフは一人前として対応してきます。こちらもプライドと世間体などいろいろな気持ちが交錯しながら背伸びをして強がります。それはそれで大切な事なのですが、逆に悪い面も出てきます。特に自分の部下に叱責されるとやはり頭に来ることもありました。今思えば若気の至りなのですが、その当時は気付きません。2年目のある時、臨床工学士のスタッフと言い合いになりました。明らかに自分が無知であったにもかかわらず変なプライドが邪魔をしました。その夜すごく悔しかったのですが、明らかに相手の言い分の方が正しいのです。翌日、その臨床工学士の方に謝罪して教えを乞いました。そうすると多くの資料や教科書のコピーをいただきました。それを必死で勉強したのも若かったからこそできたのだと思います。あれから25年、自分にとっての人生の恩師とはお会いしていませんが、毎年の年賀状で交流は続いています。その時の教訓として学んだことは、自分の無知を相手に言う事が恥ずかしいことではなく、無知を隠して知ったかぶりをして相手に自分が無知であることを悟られる事の方が恥ずかしいことなのです。それ以来、「分からないことは分からない」「知らないことは知らない」と誰にでも恥ずかしげもなく言えるようになり「だから悪いけど教えて」と年下でも部下でも言えるようになりました。歳をとるとプライドは邪魔するだけで、初心忘れるべからずと新人さんへの先輩からの助言です。

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今年の子供の春休みと国への要望

今年は新型コロナの影響で次男の春休みが大幅に狂っています。長男と長女は大学生のため1月から2月に試験が終了して、3月は元来の春休みですのでほとんど影響はないのですが、次男は高校のため2月下旬の安倍総理大臣の公立学校の休校要請に対応して日々刻々と社会情勢の変化に伴って右往左往しています。まずいきなり2月末の緊急休校要請で翌日には学校から当面2週間の3月15日までは臨時休校の措置を取ると緊急メールが回ってきました。自宅通学生は翌日から自宅にいればいいだけですので、これ幸いと自宅にこもってゲーム三昧です。一方で家の子のように寮生はすぐに帰省とはいかずに寮にとどまります。変に地元に戻って来るよりも新型コロナの発生していない地区の寮内にとどまる方が安全と言えば安全で親も安心です。しかし当人たちはいろいろな思惑があり早く寮から帰省を希望します。次男は寮に1週間いましたが、その後に帰省してきました。それではその間は何をしていたかと聞くと毎日学校に登校して自習やレクリエーションしていたとのことでした。流石に学校側も寮に缶詰めにするくらいなら一部の教室を開放して宿題や課題をさせるのもありでしょう。学校だろうが寮だろうがやることは変わりません。しかし子供からすれば規制をされるか帰省して遊ぶかは大きな違いですので何かと理由をつけて帰省しようとするわけです。帰って遊びたいのは親として十分に理解できますが、そうは問屋がおろしません。学校側は春休みの宿題を更にパワーアップした課題を追加してきます。そんなに多量に宿題を出すのなら寧ろ通常の授業を受けていた方が楽ではないか?と本末転倒の様相さえ見えます。そのような交錯した思いの中での2週間の緊急臨時休校です。

当初は3月16日から学校再開で準備をされてきたのも束の間、総理大臣から更に10日程度の延長要請があり、学校は再開されずに終業式をするから3月16日の週に学年で日を変えて登校することに変更とのメールが来ました。しかしその翌日に佐賀市内で初の新型コロナ感染者が出ますとまた状況が一変して、登校日も急遽中止になりいつの間にか4月の初旬の春休み明けまで継続して自宅学習に変更です。我が家はその朝令暮改にそれでも対応できますが、他の家庭が皆対応できるとは限りません。緊急事態で明日の事さえもわからない状況で皆頑張っているのですから不平などありませんが、振り回される方の身になって考えれば大変だろうなと思います。そこで今度は3学期の通知表はどうするのか?とか出席日数や授業進度はどうするのか?といういろいろな諸課題が出てきますが、こうなった以上2019年度3学期は全て評点なし、出席日数不要と文科省が一言いつものお得意のお役所独自の都合の良い解釈で全国の教育機関に通知を出せば済むことです。そういうことこそお役所が率先すべきです。4月には新年度から始まる制度の変更などでいつも社会が混乱しますが、Tokyo2020の延期や中止の可能性も言及されている最中ですので、勿論そのような制度の変更も半年から1年延期にすべきでしょう。

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今年の梅は?

暖冬の今年は梅が早く咲き誇り今週は各地で続々と桜の開花便りが聞こえてきます。しかし今年は新型コロナの影響で桜の便りも例年より静かです。今年も2月中旬から3月初旬にかけて光市の冠山公園で梅祭が開催されました。屋内のイベントは新型コロナの影響で軒並み中止になりましたが、屋外での開催でしかも都会とは異なって混雑しても人と人の間隔を十分にあけることが可能な田舎の町での祭りですので、アルコール消毒を徹底すれば開催は可能と市は判断したのでしょう。

例年なら2月下旬でもまだ寒い日が多く梅も満開にならずに祭りが終了する頃に見頃になることが多いのですが、私たちが訪れた2月下旬にはもう花が散っている木もあり今年が例年よりもいかに暖かいかがよくわかります。当然のことながら私たちが献梅した梅の木も見頃を過ぎているのではと少し不安な気持ちになりながら冠山を登って行きます。マスクはしていますが晴れた午後ですので新型コロナよりもスギ花粉の飛散によるくしゃみや鼻水対策が必要です。このご時世ですからくしゃみが花粉症の症状か風邪症状かは他人からは分かりません。例年なら少々くしゃみをしても自分自身は気にしませんが、今年はくしゃみ、鼻水も周囲から冷たい視線を浴びるのではないかと冷や冷やしながらの散策となりました。毎年晴れた日で穏やかな土曜か日曜の夕方に登るようにしています。昼間に行くと大勢の人でごった返しのことが多く夕方になってやっと混雑も減り車もスムーズに駐車できるからです。しかし今年は午後4時頃に行くともう閑散としていました。やはり皆さん外出を控えていらっしゃるのでしょう。午後4時を過ぎて山に登ると風も少し冷たく感じますが、今年はそうでもありません。背中に夕日を浴びながら室積湾が夕日で耀いています。この光景を見たいが為に晴天の日を選んで来ています。

今年の我が家の献梅の半分はもう花が萎れて散っています。毎年「まだ咲いてないよね」という長男の気まぐれという品種の梅が満開で、ここでも暖冬の影響がでています。15年前から子供たちの卒業や入学など記念の年に献梅をして5本になります。以前は毎年観賞に来ていましたが、最初の頃は木が小さくあまり花をつけていませんでした。しかし10年も経過すると木も大きくなりタイミングよく行けば満開の梅花を見る事が出来ます。それが今年は暖冬で気まぐれ梅花の満開を鑑賞できたのです。自宅で梅を植えても世話が大変ですが、ここでは梅木を購入して献梅すれば後は全て公園が管理してくれます。それでかれこれ5本も献梅してしまいました。これからも家族の人生の節目に献梅を続けて行こうと思っています。そして毎年訪れてその花をつけた梅を観るとその植えた当時の子供たちの姿が脳裏に蘇ってきます。今では子憎たらしい態度をとって腹が立つことも多いのですが、当時の幼い笑顔は忘れられません。いろいろな場所に人生のアルバムを散りばめておくと年老いていく自分たちにとって楽しみが増えます。これからも節目が来る度に献梅してたくさんの思い出を残していこうと思っています。

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仕事に引退はあるか?

30年も仕事をしていると飽きてきます。仕事の達人は50年経過してもまだまだ仕事の極みに達することができずに日々勉強と言われます。何事もやればやるほど奥深く死ぬまでその境地にたどり着けないのでしょう。テレビのインタビューで超ベテラン職人の方が「まだまだ境地に達せず日々勉強です」と答えられるのを聞くと私などは超未熟者だと思ってしまいます。

「仕事とは何か?」とこの30年ずっと哲学的に考えてきましたが、最初の10年は仕事に慣れて習得するのに精一杯で哲学的に考えることなどありません。次の10年になると仕事の面白さもわかり家族もできて仕事は食い扶持のための目的に変化します。それだけではありませんが、仕事の対価であるお金という存在を意識せざるを得なくなります。そして最近の10年は惰性と倦怠期もありますが、一番生活にお金がかかりますので「やるっきゃない10年」になります。なかなか邪念が入ってくると純粋に仕事のみで生きていくには難しい時期でもあります。昔ならこの時期になると定年で60歳近くになりあまり悩まなくても一旦リセットになりますが、人生100年という謳い文句のこれからの時代ではまだまだ仕事が続きます。そこで新たな仕事に対するモチベーションを自分の意識下に吹き込まなければなりません。そこで仕事は生きがいか?はたまた社会奉仕か?という迷題に突入していきます。

書店で自己啓発やビジネスとは何ぞや?というお題の書籍が所狭しに並んでいます。またそのタイトルの本が手を変え品を変えて出てきます。多分人間は誰も生きているうちに必ずや一度は通過しなければいけない関門なのでしょう。そして本のタイトルには生きがいとか自己実現とか社会奉仕というキーワードが多く見受けられます。個人的にはどの言葉もまだ自分の現在の境地ではしっくりきません。ただし20年前の自分よりは少しは成長しているはずで過去の自分ならそのような単語を並べられても全くピンとこなかったのですが、現在の自分では何となくその言葉の意味が少しはわかるようにはなりました。しかしまだ自分の境地に踏み込んでくるほどのインパクトはないのです。あと20年もして50年同じ仕事に打ち込めばもう少しその境地がわかるかもしれません。しかしその前に不謹慎かもしれませんが、同じ仕事を続けていると飽きてくることもあります。その飽きについてはある人は「未熟者だからそんなことを言うのだ」と言い、一方で別の転職してきた人は「まだ自分にあった仕事に出会えてないのだ」と言います。どちらの言い分も一理ありますが、正解はありません。ただこの歳になってから転職なんて厳しいのが事実で、仕事は仕事と割り切って残った時間を自分にとって仕事以外の事に費やしたいと最近思うようになってきました。不幸中の幸いにも国家資格のある医師免許は死ぬまで有効です。死ぬまで医者をしようとは到底思っていませんが、いつまでも続けられる反面、車の免許と同じで引き際を間違えてしまう可能性もあるのです。

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