仮想敵国を作ることが目標達成に近道

夢を達成するにはまず自分のゴールをどこに置くのかを設定しなければなりません。そしてそのゴールは具体的な目的がよいのですが、最終目的ですから抽象的であってもかまいません。更にその夢を実現するための一里塚である中継地点の設定についてはあくまでも通過地点ですので具体的な目標を設定する方が達成しやすくなります。会社で言えば売上高などの数値目標が一般的です。試験で言えば点数、受験で言えば成績の順位や偏差値も該当するでしょう。一方で長い人生の航海では中継地点を数値だけで設定するのは困難かもしれません。

では人生の中継地点は何を設定すればいいのかについて具体的に考えてみましょう。その場合、今回のテーマでもある相手を設定するのが一番手っ取り早い方法ではないかと思います。自分の人生においてその時々に出会う人物でこのようになりたいという人を決めればあとは自ずと方向性が見えてきます。最初はその目標のマネをするのです。マネをするのは嫌だと思う人も多いかもしれませんが、一番手っ取り早いです。しっかりマネをするにつれて目標相手のマネをしたくない一面も見えてきます。その時点で一歩といわず三歩前進しています。そしてその目標相手をマネするのが飽きてくれば完全に中継地点は通過済みです。そしてまた次の中継地点を探せばいいのです。

目標相手を作ると言えば聞こえは良いのですが、国家間で言えば仮想敵国を作ることになります。北朝鮮や中国はアメリカを仮想敵国にして、ロシアは現在ウクライナを敵国にしています。そして自国民をうまく操り誘導します。仮想敵国側はたまったものではないのですが、その相手とうまく歩調を合わせる時と完全に対決する時はその時代によって全く異なります。「敵の敵は味方」とか「昨日の敵は今日の友」など迷言もありますが、あながち嘘でもありません。現在、ウクライナは大変な思いをしていますのでどうにかしてあげたいのですが、我々日本人ができることは限られています。そのできる中で我々はやっていくしかありません。

少し話がそれましたので元に戻します。自分を高めていくこと即ち目標を決めてひたすら人生の夢やゴールを目指すことはとても尊いことです。一方で皆が皆その夢やゴールに到達なんてできやしません。これも真実です。またその途中経過即ち一里塚であるその時々の目標相手は必要です。悪い言い方をすれば仮想敵国になりますが、言い換えればライバルもしくは人生の師と言えるかもしれません。そのお手本の良いところだけマネすればいいのです。マネしたくない部分は自分の中で削除すればいいだけのことです。そして色々な人物の良い部分をマネした結果がミックスされて新たな自分になるのです。勿論、マネしただけでなく取捨選択してアレンジもしているのですから完全なオリジナルな自分でもあります。長い道程ですが、そこまで到達する頃には自分のゴールも定まっているはずです。私も次男もまだまだ仮想敵国を探す途中です。

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トップガンポスター届く!

10月初めに記念すべき第10回目の元祖トップガンを4Kリマスターで観てきました。やはり通常の画質よりは遥かに鮮明だったのは感動ものでしたが、一方で昭和のセピア色は姿を消していましたのでどちらが好きかと聞かれると一長一短があり答えが分かれるかもしれません。また何回か2作を続けて観るとその繋がりで新しい発見があります。今回はこれ程入れ込んだ映画は金輪際ないと思われますのでその記念として映画館に貼ってあるポスターを欲しいと思いネットで色々調べてみました。値段はピンキリでしたが、それ相応に価値があるから高いのでしょう。まず手始めに一番安いポスターは1000円程度であります。これは明らかに画質も相当悪いはずです。しかし遠目から見ればそれなりに雰囲気を味わうことができるはずでまずはお試しで3枚をネット注文しました。海外からの輸入版ですのでポスターよりも輸送運賃の方が高くつきました。また宅配業者も中国郵便で上海から送るようですので少し怪しげで、物が実際に到着するまで不安でした。そして3週間後に到着したときは中身の確認よりも着いたこと自体で完結したようでした。実際に梱包を開けてみると布製の生地にプリントしただけでお世辞にも綺麗に仕上がっているとは思えませんでしたが、値段が値段ですので家の壁に貼って遠目で観て映画の感激を思い起こそうと思っています。一方で1枚は結局送られてきませんでした。やはり中国です。

壁に貼って数日経過すると何か物足りなさを感じます。当然と言えば当然ですが、やはりもう少し鮮明なポスターが欲しくなります。前回の投資が5000円くらいでしたので数万円くらいまではいいかなと思いながらまたネット検索をします。その時に前回購入したポスターの評価を見ると皆さん星一つで最低と書かれています。それはそれで納得なのですが著作権のあるA1のカラーコピーをするだけでも何千円とかかるでしょうから画質にこだわるのはそもそも間違いかもしれません。今回は本当に鮮明な画質の映画館に使用されたポスターを探せばやはり数万円はします。その中でも口コミ評価の高い業者のHPでアメリカの劇場使用のポスターを2枚購入しました。今回は力が入っていますのでポスターの写真でも一番有名な写真2枚を選びました。到着するまでには遥々太平洋を渡ってきますので2週間はかかりましたが、10月中旬に我が家に到着しました。

1枚目は夕日の滑走路をバックにマーベリックがバイクに乗っている定番の写真で一番値が張りました。しかし流石に公式ポスターだけあって写真の光沢や色艶が半端なく本物です。感激の一言に尽きます。もう1枚は空母に搭載されたF18戦闘機をバックにマーベリックが写っているポスターでこれは初版限定の公式ポスターです。この2枚と比較すると最初の安いポスターは幼児のお絵描き程度ですが、これはこれで遠目から観て楽しんでいます。そして2作の4Kのブルーレイも11月初旬には自宅には届く予定で何度も繰り返し観る予定です。そのブルーレイにはF14戦闘機のキーホルダーもおまけでついてきますのでバイクならぬ車のキーにつけて楽しもうと思っています。

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久しぶりの上京

6月に上京して以来の4か月ぶりの東京です。今回の出張も半分は子供たちに会うのが目的です。お盆休みに長女と長男は帰省しましたが、ほんの数日のトンボ返りでした。今回は自分が東京へのトンボ返りとなりますが、それでも束の間の息抜きにもなります。出発した土曜の午後は秋晴れの下で太陽が照っていると暑く感じますが、風は秋らしく涼しく感じられます。今回の上京で家内は留守番ですが、私は運び屋に仕立てられて多くの食べ物やお土産を私に託されて両手はいっぱいに塞がれています。東京駅への到着は午後6時前で10月中旬になるとすっかり日も暮れて大都会のネオンサインが眩しく見えます。まずは東京駅前の丸善に直行して来年のシステム手帳の差し替えを買います。地方ではなかなか手に入りにくく、過去にネット販売も試みましたがなかなかうまくいきませんでしたので上京した時に直に買うのが一番確実です。毎年同じ場所に置いてあるのでものの10分でミッション完了してあとは30分程度ですが、本屋を徘徊します。いつものルーチンワークですが、都会に出てきた田舎者がとてもワクワクする瞬間です。そして午後7時前に丸の内ビルの焼き肉店で落ち合う予定です。このお店は以前にも長女と行きましたが、今回は長男と3人です。仕送りやバイトはしていますが、それでも自由に使える軍資金はわずかですのでこのようなチャンスでしか育ち盛りの子供たちは焼き肉を腹いっぱい食べることはないようです。ですから東京でも帰省した時も外食は焼き肉や回転寿しを食べにいくことが多くなります。たくさんの家内からのプレゼントを二人に手渡して少しは父親らしく偉そうに「好きな肉を食べたいだけ食べろ」と促します。子供たちもここぞとばかりに思い切り注文します。そのオーダーを見るだけでダイエット中の私はお腹が一杯になりそうです。ほんの2時間ですが今回も楽しい時間を過ごすことができました。

その後は長女と長男はそれぞれの寮に帰りますので、私もドーミイン神田にチェックインです。以前は神田で安くサウナと大浴場があるビジネスホテルを利用していましたが、コロナ禍で閉店しましたので、付近で同じ条件のホテルを探しましたが見つかりません。仕方なく値段アップして15000円で今回のホテルを見つけました。たまの息抜きですからこれくらいは贅沢してもバチは当たらないでしょう。最近は朝食にこだわって差別化を図るホテルが増えていますが、このホテルもサウナと大浴場と朝食にこだわっています。午後8時過ぎにはホテルに入り、サウナと大浴場でゆっくりしてあとはホテルのベッドでゴロゴロしているといつの間にか寝てしまいますが、いつものことです。しかし歳をとったせいかまたは布団が異なるためか、夜に何回も目が覚めてしまいます。そして朝の5時を過ぎると薄明るくなってきますので、再び朝風呂に入ってから朝一番に自慢の朝食バイキングに行きます。普段は朝食を食べませんが、余所行きになるとやたらお腹が空いて食べてしまい、帰ってから体重計に乗るのがやや心配になります。この朝のちょっとした合間にこのブログを書き終えてからが本番の?出張業務の開始です。

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本音で生きる

先日、ネットでトム・クルーズのインタビューがありましたが、彼はこの数年間全く休暇を取っていないと言っていました。映画を撮影することが仕事でありその「夢の中で生きている」から休暇など要らないそうです。「かっこいいな」と率直に思いました。また映画を撮影するために世界中をプライベートジェットで飛び回りその夢の中のトリップで歴史ある建造物や自然を背景に撮影をすること自体がとても楽しいのだそうです。また彼は人一倍努力家で今までにもスタントマンなしで危険な撮影をこなして体を張っていますし数々の素晴らしいシーンを自らで撮影しています。そのような世界的な大スターの言葉ですからその言葉に重みがあります。今回のキーワードは「夢の中で生きるトム・クルーズに対して自分の生き方は?」と聞かれたら何と答えるだろうかと考えてみました。その答えが「本音で生きる」というフレーズが自分に最も似合っているように思います。

本音と建前というのが対語になりますが、子供時代は思うままに本音だけで生きることができました。しかし小学生くらいになると周囲の大人に気を使い始めます。それが両親であり学校の先生かもしれません。その時点で建前の世界に入り込み忖度の世界も垣間見えます。人間は一人で生きていくことは不可能ですのでどうしても相手が存在し気を使います。そうすると思っていても言わないで相手の事や現在の自分の立場を考えて言葉を選んでついつい建前を言ってしまいます。それは仕方がないことで全然悪いことでもありません。自分も本音と建前の世界を行き来していましたが、建前の世界がほとんどだったと思います。一方で以前の勤務医での生活や開業して一国一城の主になっても借金がある時代はやはり本音と建前の中を行き来しながらも建前の生活が多かったように思えます。父親が亡くなり借金もなくそしてもう少しで子供も自活できる一歩手前の人生までくるとあまり建前は言わなくなりました。思ったことを思ったままに言ってもそんなに障害もなくとても自分にしっくりくるのです。もしかしたらその本音を聞いている周囲は大変なのかもしれません。よく家内が自分のことを周囲も気にせず子供たちより子供っぽいと私のことを表現しますが、まさにそのことを言っているのだと思います。

自分では少しは周囲に気を使っているつもりですが、周囲から見ればそう思われてないのかもしれません。しかし周囲の目を気にせずに自分の思った通りに本音で生きることができれば現在の複雑な世の中でもほとんどストレスフリーでしょう。そのようになるためには全ての事に対して努力することが大切ですが、更に自分の手足が縛られるような足かせが無いことが必須です。その両輪が揃って初めて自分も建前でなく本音で生きることができるようになるのではないかと思います。別に建前で生きることを否定しているのではありません。本音で生きる方が建前で生きるよりも遥に生きやすく少しでも近づきたいと思っているだけです。現在の自分の状況は本音8割といったところでしょうか?トム・クルーズのように本音ならず夢の中で10割生きてみたいものです。

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昔10月10日は体育の日だった

2回目の東京五輪はコロナでケチがついて終わりかと思ったらそれだけで終わらずに、今度は贈賄収賄という更にケチがついて現在進行中です。やはり招致にはお金がかかることは誰しも否定しませんが、こんな形で再びクローズアップされるのはとても残念です。今回は1964年の第一回目の東京五輪についての回想です。と言っても私は1964年生まれですので勿論、第一回目の東京五輪の記憶なんてあるわけがありません。唯一その当時の雰囲気をそのまま残していたのが10月10日の祝日の体育の日でした。この10月10日を覚えているのは30歳代以後くらいでしょうか。それで少し記憶を掘り起こすためにネットで調べると体育の日からスポーツの日に変更されたのはまだ日が浅く2020年のことです。もっと古いかと思いましたが、第一回目の五輪を記念して制定した体育の日に対して第二回目の五輪を記念してより広い意味で世間に受け入れられるために変更したのでしょう。しかし最近はやたらカタカナ文字が流行する世の中でスポーツより体育という漢字の方がしっくりくるというのは昭和生まれの化石的思考でしょうか?少し寂しさも感じます。

一方でいつから10月の第二月曜が体育の日に変更されたかというと2000年までに遡らなければなりません。当時は今ほどではありませんが、もう少し仕事を休んで余暇を楽しもうという発想がありました。土日の週休二日は大企業のエリートサラリーマンだけが取得できる特権で我々中小企業戦士はもってのほかで隔週の土曜が休みになればラッキーという4週6休がせいぜいでした。しかし4週6休も死語となって久しくなります。それから働き方改革など国はいい事ばかり言いますが、自営業の個人事業主になると更に休みが減ってしまいました。当時は若く「何でも来い」という気概がありましたのであまり感じることはありませんでしたが、2000年以後に祝日法が改正されて年に何回かが第二月曜に移動することになり赤日は何があろうが休日でしたのでそれはそれで重宝していました。その祝日法の改正で体育の日が毎年固定された10月10日ではなくなったのです。ですから昭和生まれの世代はその背景を知っていますが、平成生まれはほとんど知らないのではないかと思います。

20年前はその祝日法改正の恩恵についてあまり考えたこともありませんでしたが、更に遡れば毎年固定された赤日の10月10日の体育の日前後が小学校の大運動会でした。ですから我々昭和世代は体育の日と言われると第一回目の東京五輪の記念日よりも自らが参加した大運動会の方が記憶に勝るはずです。現在の温暖化のない1970年代の運動会では昼間はやや暑いのですが、朝夕は肌寒く感じられました。また熱中症という言葉はなく日射病と言っていました。ましてや救急車出動なんて考えられないことです。そして時代は流れ現在では毎年日にちが移動するスポーツの日でもまかり間違えば熱中症で救急車出動ものです。たまたま今回は第二月曜が10月10日に当たりましたので色々な事を振り返り思い出しました。

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