精神的強さ

平昌オリンピックでフィギア男子の羽生選手が五輪二連覇を達成しました。土曜の午後で仕事もありませんでしたのでテレビ観戦することができました。もし仕事があっても事前に滑走する時間帯はわかっていましたのでその間ちょっとだけ仕事を中断して観戦したかもしれません。それ程今回のフリー演技は見応えがありました。その凄さは今回の特別な背景もかなり影響しています。怪我から復帰直後に金メダルを勝ち取るというその精神的強さは本当に凄いと思います。前回の五輪で金メダルを取った後に世界中のライバルから追われる立場になりそれだけでも精神的な重圧は計り知れないものがあります。更に五輪開幕直前に怪我をして練習ができずに安静を強いられた日々の焦りや辛さは相当なプレッシャーになったことでしょう。その逆境にもかかわらず結果を出すべくして出すことは精神的強さがなければいくら高度な技術をもってしても勝ち取れません。過去に五輪で何人の日本選手が精神的重圧に負けてメダルを逃したことでしょうか。そのようなシーンを何度も観てきました。そして他人事でもテレビの前で自分も悔しがりました。本人が一番悔しかったことは間違いありません。過去の五輪で予想通りにしっかりと金メダルを勝ち取った選手は数えるほどしかいません。その意味ではスケートの小平奈緒選手や将棋の藤井聡太6段も同じで真の勝負師とはそのようなものなのでしょう。

話題を少し変えますが、この精神的強さは日常の身近な場面にも多々登場します。例えば仕事で「このプレゼンを必ず決めなければ」と思って一発で決められる人も精神的な強さは程度の差こそあれ同類です。試験でも同様で一発で合格ができる人もいますが、一発で決めることができない人の方が多いのです。そのように日常的な場面での大舞台に結果を残せない人がたくさんいます。運不運もありますが、それ以外にどこに差があるのでしょうか?多分それは常日頃からどれだけその夢や目標に向かって直向きに努力してきたかによるところが大きいと思います。努力だけで全てを解決することはできませんが、成功する確率は必ず上がります。一部の天才は全然努力せずに程々の結果を残すことはできますが、極めることはできません。天才とはちょっとした才能を持つ人がその才能をもっと大きく花開かせるために限りなく努力をし続けことができる能力を持っている人なのかもしれません。エジソンは「天才とは1%のひらめきと99%の汗である」と言いました。つまり目標に向かって努力をし続ける人が才能を発揮すると神様は微笑むのかもしれません。

今までに何人もの選手を跳ね返してきたオリンピック。周囲を見渡すとそのような小さな檜舞台は日々の生活の中にたくさん転がっています。たまたま4年に一度の大舞台で羽生選手が活躍して日本中が湧きました。私もその一人ですが、それだけで終わりではちょっと悲しいかなと思います。皆それぞれの舞台で活躍するために日々の弛まぬ努力を続けて一人一人が自分の金メダルを目指して頑張らなければなりません。その目標の達成のためにはあきらめずに努力し続けるという精神的強さが必要なのです。

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両親と膝を突き合わせた話

唐突な質問ですが、あなたは両親と向き合って真面目に話をしたことが生涯で何回ありますか?勿論、現時点で既にご両親は他界しているという方も多いでしょう。それならばご両親が存命の時に何回話しましたか?話した内容も種々あります。例えばお金がどうしても必要な場合その話題が最優先になるかもしれません。それはそれで重要なのですが、今回の話題はそんな次元の話ではありません。自分の物心がついた後は自分の目でしっかりと親の背中を見ることができます。しかし自分がまだ幼い頃、つまり自分のことすら覚えていない時期よりも以前のことや更に言えば自分が生まれる前の両親の生き様や生い立ちなどは、自分の両親が子供に語らなければ決して知る由もありません。親戚筋からチラホラと聞くこともあるかもしれませんが、それは断片的に過ぎません。

ではもしそんな内容を聞くとしたらどんな時か?と想像します。事実、私の場合そのような経験がほぼ皆無に近かったものですから。会話の端々に戦争時代の自身の生活状況やもっと昔の生い立ちを過去に聞いたことはあります。しかしその内容は何かの会話のついでに出た話ですぐに立ち消えになってしまいます。つまり今回の私の求めている両親との会話というのは、両親が人生をどういう風に考えてどのように生きてきたかという心の内面のことです。読書をすれば上辺だけになるかもしれませんが、他人のそのような生き様や考え方は簡単に知ることができます。本当に書の中に自分の心の内を全て暴露しているかどうかは著者本人でないと知ることもできません。またそれを確認するために著者に仮に突撃インタビューをしたとしても真実を語ってくれるとも限りません。ですから本当に両親と膝と膝を突き合わせたような会話をしたことがあるのだろうか?という疑問がこの数年で私の心の中に突きあがってきたのです。同様に「自分が子供たちに同じことを将来するか?」と聞かれても「はい」と自信を持って答えられません。「どこまで話せばいいのか?」や「自分は話したいけれども子供たちは聞きたいのか?」という疑問が湧いてくるからです。過去に若かった両親が同じように自分に話そうとした時、私に聞く気持ちがなかったのかもしれません。そのような膝を突き合わす瞬間はもしかすると過去にもたくさんあったかもしれません。しかしその瞬間を自分が見逃していたのではないかと今になって大いに反省もしているわけです。

このような思いが最近の私の心の中でとても大きくなりました。「なぜか?」それは「年老いた両親が数年後にこの世に存在しているか?」という問いに「はい」と自信を持って答えられなくなったからです。また末っ子が中学生になり寮に入って一般家庭より早く子供たちが親元を離れたことも大きな要因です。そして何よりも自分の残りの人生カレンダーを見ると通常ではおよそ30年間の日付しか残ってないのです。石原10年日記3冊分しかありません。そのような思いが私に後悔をさせないように両親と膝を突き合わせた会話をするように急がせているのかもしれません。

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予備校に行く前に

センター試験が終わると同時に予備校探しが始まります。一見とても気が早いように思えますが、詐欺に遭われた「はれのひ」の成人式の着付けでも2年前から予約しないとよい日時を確保できません。また出張で上京する時に東横インの会員価格で土曜の夜を予約しようとすると半年前の売り出し日に予約しないと駅前などの好立地のホテルはすぐに満室になってしまいます。予備校も同じ理屈です。授業などの実際の講座を確保するのは3月でも問題なく可能です。問題なのは寮なのです。一般的に予備校へ自宅から通学することは余程の好条件が揃っていない限り不可能です。では寮ならどこでもよいか?そんなことは絶対にありません。寮の周囲の環境や寮から予備校までの通学距離と時間も大変重要な要素になってきます。そして一番大切な事、それは長女の時に学んだことですが、周囲の同級生も同じような目標を持って1年間を捧げるわけですから、同志のレベルの高い寮で一緒に団体戦で受験を勝ち抜いていかなければならないのです。たかが予備校の寮と言ってもされど予備校の寮なのです。特にハイクラスを受け入れる寮は予備校での成績優秀者でないと入寮できないこともしばしばです。そういった内部事情を経験していなければ素人にはわかるはずもありません。ちょうど4年前に長女がセンター試験を終えた段階でどんどん寮の仮予約が埋まっていき2月下旬には一杯でした。その厳しさを前回は学習しました。ですから今回はセンター試験直後に某予備校の寮を予約金まで支払って仮予約したのです。勿論、子供がその予備校に行くとは限りませんが、押さえるだけ押さえてからゆっくりと考えればよいのです。いくらでも後になって行きたくなければキャンセルも可能なのです。例えていえば一般の方が旅行を計画するときに行くか行かないかは別にしてホテルだけでも押さえておこうという心理と一緒です。1週間前までにキャンセルすればキャンセル料はかかりませんし、最近のビジネスホテルチェーンでは前日までキャンセル無料の所も少なくありません。

実際にもし仮に予備校に行くとしたらと比較検討して子供とも少しは会話しましたが、なにせ現役受験生で合格が第一目標ですから「もし落ちたらどの予備校に行く?」と根掘り葉掘り聞くこともできません。さらっと流すように「大手予備校?それとも専門的に特化した予備校?寮には勿論入るよね?」聞いて後は親が勝手に予備校検索をしたり過去に行った人にその情報を聞いたりと情報収集も大変でした。しかし今回は長女の時にかなりの情報を集めていましたのでタイミングを逸せず寮の予約に乗り遅れないようにすることできました。2月中旬で私立大学入試はほぼ終了し下旬の国立大学の二次試験も控えていますが、その主戦場とは別の意味での順番とりが待っているのです。本当はそんな事で悩むこと自体が本末転倒なのですが、それでも最良の事をしたいという親の勝手な自己満足なのかもしれません。3月になって大学に合格して予備校をキャンセルできればそれが一番なのですが、それも実力と運次第で神のみぞ知ることでなかなか厳しいそうです。

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推薦入試の功罪

大学入試では我々の時代でも推薦入試はありました。しかし通知表の評点が一般的に5段階評価で3.5以上の受験者に資格が与えられますが、皆が皆受けることはなく寧ろ成績の良い人は推薦を受けずに一発の試験にチャレンジしていく人が大多数だったと思います。それから30年少子化が進み大学を選ばなければ誰でもどこかには潜り込める全入時代になると学生の確保ができずに大学が倒産という過去では考えられない時代に突入しつつあります。そして推薦でも現役ばかりでなく浪人でも可という大学も増えてきました。また我々の時代では医学部が現在ほど超難関ではありませんでした。また医学部に推薦なんてなかったのですが、現在では地方の医師不足を反映してか地方の国立大学でさえ人材確保のために地元高校から地域枠として推薦入学を取っている時代です。そして自己推薦や学校推薦やAO入試など我々の時代では想像もできないほど複雑化しています。逆に言えばしっかりと情報収集すれば一般入試よりも楽をして合格できる可能性も出てくるのです。ただし高校での3年間の通知表の評点が最低でも4.0以上必要で真面目に3年間コツコツと勉強する子供ならよいのですが、ちょっと手を抜いてという子供の方が圧倒的に多くなかなかその推薦資格を高校3年間で得るのも難しいのかもしれません。また同じ評点でも高校のレベルによっては格段の差がありますので、有名進学高校で評点4.0以上は多分東大に入るより難しいこともあります。一方で高校のランクが下がってくれば評点4.0はクリアできますが、その後の試験や面接で振り落とされます。結局のところうまい仕組みになっています。真面目でどうしてもその大学に行きたいという特殊なケースでは選択肢の一つとして推薦入試を有効活用すればよいのです。しかし一旦推薦で合格してしまうとその後に他の大学に行きたいと思っても行くことができません。法律上では拒否できるのかもしれませんが、推薦を書いた高校やその後に続く後輩の事を考えると倫理上拒否できませんので他の大学にも進学希望の可能性がある場合は推薦入試ができません。

長々と書きましたが、長男の場合ウサギの性格で亀ではないので私の持論である「成亀勝兎」と相反しますが、まかり間違っても推薦なんて遠い世界の話です。あわよくばと親が思ってもなかなかうまく事は運びませんでした。センター試験が始まる1月からの入試本番に先駆けて10月から12月に推薦入試は本番の時期を迎えます。推薦は選択肢の一つとして利用するのはとても賢い手段です。一方で昨年の県人会で母校の大学理事長から聞いたお話では一般入試で合格した学生と推薦で合格した学生ではかなり学力差があると言われていました。それは浪人をして厳しい現実を垣間見た人とそうでない人、もう一つは秋に合格が決まるとその後はどうしても勉強をしなくなり半年後に入学した4月にはかなり学力が低下しているという現実があるそうです。事実、私の大学の同級生の子供さんが昨年推薦合格したのですが、10月から半年はスマホやゲームで遊びまくっていたとのことでした。そのような話を聞くと推薦入試で合格というのも一長一短だと思います。

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センター試験について物申す

試験にもいろいろあって自分の人生を狂わす試験だってあります。試験が悪いのではなくそれを乗り越えることができなかった自分の方に非があります。学校の定期試験などは推薦入試の評点には響きますが、まだどうってことありません。一方で入学試験はその人のこれからの人生を大きく左右します。50歳を過ぎて20歳の頃を振り返るとまた違った見方ができるのですが、決して私が20歳に戻ることはできません。特に大学受験をする場合皆が受験するとは限りませんが、多くの受験生が一度はセンター試験について考えるでしょう。人生は一度きりしかありませんが、センター試験は何回でも本人さえよければチャレンジできます。長女も結局3回受験したわけで長男も今回の初挑戦でどうなるかはわかりませんが、来年も再チャレンジは可能です。しかし制度自体はその時代によってコロコロと文科省の役人や大学の教授などの有識者が話し合って変更していきます。少子化など日本のお家事情のため変更自体は仕方ないことですが、朝令暮改のようにコロコロと変更しすぎるのはよくありません。数年先の次男が受験する頃には大改革があるようですが、その前後の受験生はたまったものではありません。学校や予備校はそれに備えて準備万端で臨むはずですが、学校関係者もそれに合わせて準備をするのに数年という月日を費やさなければなりません。また受験生はその時の気持ちや体調だけでも大きく点数は変わってしまい、行きたい学校から行ける学校に変更を余儀なくされます。金銭面での不安がなければ翌年再チャレンジもできますが、家庭の事情で泣く泣く進路変更する受験生もかなりいると思います。だから一人の親としてそのような後悔を子供がしないようにするためにこの10年間走り続けて準備してきたのです。「親の心子知らず」と言いますが、それはそれでよいのです。一方で私の年老いた両親に私がいろいろと文句を言って気を揉ますことが多いのですが、それをやめるつもりも毛頭ありません。年老いても親は親で子供がどんなに歳を取ろうとも一言は言いたくなるものです。長男があからさまに私に向かって「うるさいなあ」という顔を見ると、それがそのまま「年老いた爺婆に私も同じような顔をしているのだろうなあ」と跳ね返ってきて心苦しい思いになることもあります。

さて今年のセンター試験は例年通りのレベルでしたが、長男は苦労したようで自己採点の結果は思ったほどよくなかったようです。これで国立大の2次試験予定校の変更や私立大学の受験校の日程などが大幅に変わってきます。これも学校や予備校があらかじめ設定した自己採点点数で「センター85%以上だったらGO!一方で80%以下なら当たって砕けろ!玉砕!」となっていますので受験校の選定で薄々センターが何割取れたかはわかります。親としてはいつもながら子供に冷や冷やさせられていますが、私が受験するのではありませんので「後は野となれ山となれ」で金策面での悩みが増えていきます。それでも人生を決める試験ですので再チャレンジもありで、歳をとってからの後悔だけはさせたくありません。

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