今年は10日遅れの桜

この数年は毎年春分の日が過ぎると東京や福岡や熊本で開花宣言の便りが聞かれ始めて一気に全国に拡がっていきます。そして3月末には満開となって4月初旬に花びらは全て散ってしまって葉桜の下での入学式ということも多々ありました。昔は桜が満開の下での入学式が定番でしたが、地球温暖化の影響をもろに受けています。桜が散ると同時に当院のヤマホウシから新芽が勢いよく伸び始めます。ですから最近の4月初旬の入学式の頃は個人的には若人の新芽が芽吹く季節という印象の方が強く感じられます。しかし今年の桜の開花宣言は東京では3月21日と予定通りでしたが、その後の冷え込みなどもあって東京での満開は開花からの予定よりかなり遅れて3月末でした。必然的に日本全国の開花宣言や満開宣言は遅れて今年は我々の小学生の頃と同じ満開の桜の下での入学式となりました。4月10日が富田東小学校の入学式でドンピシャの満開でした。この周南地区でも車通りの多い桜馬場ではここよりも4-5日早い満開となりますし、鹿野ではここよりも更に1週間程度満開が遅れます。半径30km程度の地域でさえ2週間近く開花や満開宣言に誤差が生じるのです。逆に言えば周南市内を車で行き来するだけで2週間近くは停車中に車のフロントガラスから桜の木々を覗き見上げながらいつ蕾から花びらに脱皮するのだろうと蝉の幼虫が成虫に脱皮するときのようにドキドキ感を味わうことができます。

桜の開花は冬の寒さが刺激となりお彼岸以後の暖かさで一気に開花します。ですから暖冬になると桜の開花が早まるのと同時に満開にならないこともあるそうです。今年は鹿児島で開花が10日以上遅れましたが、それは冬の気温が高かったために寒さの刺激が弱かったからだそうです。そうすると必然的に満開も遅れますが、それぞれの蕾の開花がまちまちとなりある蕾が開いて花びらが散っても別の蕾はまだ開いてないということもあり、一斉に咲き誇らないで満開宣言が出ない可能性があるとテレビで気象予報士が解説していました。実際に奄美大島など温暖な気候の地域では過去に開花はするものの満開にならなかった年もあるそうです。それがどうも今年は鹿児島にもやってくるかもしれないとの予想でした。さながら桜の開花前線ではなく温暖化による満開未定前線が徐々に北上しているのかもしれません。全国的に桜の開花は早まるものの南からは開花や満開が遅れていずれ30年後には九州地方では満開にならないという何とも皮肉な結果になるかもしれません。そしてその頃には自宅前の小学校の桜もある程度影響を受けている可能性もあり複雑な気持ちになります。

私は毎年必ず小学校の早朝の人気のない満開の桜の下を歩きます。誰もいない静かな通学路を歩くと40年前の出来事が思い出されます。一瞬ですが幼少時代に戻ることができるのです。しかし桜の花びらの如く儚くも一瞬で現在に引き戻されてしまいます。そして今年も無事に自分も家族も元気でこの桜を見ることができたことに感謝します。今年は小学校の入学式前日の日曜の早朝に満開の校庭の通学路を散歩しました。

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ラーメン談議

先月上京した時に激辛ラーメンを無性に食べたくなり泊まる予定のホテルの近隣のラーメン店をネット検索で探しました。本当に便利なもので周囲に何十件ものラーメン店がある中でキーワードの辛い・味噌・神田で検索するとカラシビラーメンがヒットしました。醤油ラーメンや豚骨ラーメンも好きですが、とりわけ好きなラーメンは味噌味です。過去に味噌ラーメンで一番美味しいと思ったのは北海道に行った時の札幌ラーメンでした。ラーメン横丁の味噌ラーメンも美味しかったのですが、札幌駅地下のラーメン店の味が忘れられません。かれこれ35年前になります。それ以後いろいろな地域で味噌ラーメンを食べてきましたが、まだその味を乗り越えるものには出会っていません。しかしもし今の自分が再び北海道に行ってその店が仮に今でも存続していて食べたとしても本当に一番と太鼓判を押すかどうかはわからないでしょう。当時の記憶はかなり美化されているのかもしれません。昔はインスタントラーメンなら札幌一番味噌ラーメンが定番でよく作って食べていましたが、今ではお湯を注ぐだけで本場さながらの高級志向の味噌ラーメンがスーパーにたくさん陳列されています。味もお湯を注いで数分待つだけでここまで美味しいのかと唸るほどです。これも技術革新の賜物でしょう。更に最近感心させられるのは生麺の歯ごたえです。お湯を注いで待つだけのカップ麺でもあのこしのある歯ごたえ感を出せるのは凄いことだと思っています。

今回のカラシビ味噌ラーメンは激辛を注文せずに普通の辛さにしました。それでも十分に辛くて食べ終わる頃には額から汗がしたたり落ちてきました。次回食べるなら更に辛さをアップしたメニューに挑戦したいと思います。このように都会に行けば行列のできるお店がたくさんあってそれを一軒一軒制覇していくのも楽しいものです。しかし週末など上京する機会は限られていますので並んで待つ時間はあまり取れないのが現状です。ですから本当に美味しい行列のできる店で食べることは不可能で、並んでも30分程度で入店できる店を探して食べに行くのがせいぜいかもしれません。それでも1000円ばかりでひとときの幸せを味わえれば申し分ないことです。

徳山にも贔屓のラーメン店があります。第二スターの醤油ラーメンです。小学生の頃から両親に連れて行ってもらっていました。味も本当にシンプルです。周囲の地元の友人と話すと皆行ったことがあり懐かしの味で話題になります。これこそ三つ子の魂百までの典型でしょう。自分の子供たちも小さいころから連れて行き食べさせています。帰省した時は必ずと言っていいほど行きたがります。そこのレジのお婆さんは御年90歳に近いようなお話を先日されていました。私たちが通い始めて40年以上経過しているのですから当然と言えば当然です。3か月前に行ったときにはレジにいらっしゃらなかったので具合でも悪いのかと心配しましたが、つい先日に行ったときには元気にレジ番をされていました。いつまでもお元気で美味しいラーメンを食べさせていただきたいです。

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サンダーバード車窓の旅

テレビで車窓の旅という長寿番組がありますが、旅に出ると新幹線や飛行機で急がなくてもよければ各駅停車か船旅でのんびりというのも悪くないと思っています。しかしなかなかそれだけ時間を贅沢に使わせてくれない現代社会です。先日、金沢に学会で行ったときに久しぶりに京都-金沢間を特急サンダーバードに乗りました。各停の旅とはいきませんが、それでものんびりとながれる車窓を見ながらこのブログを書いています。

のぞみで京都駅に15時34分に着き15時40分の在来線特急に乗り換えます。新幹線ホームから足早に駆け下りて在来線乗り換え口を駆け抜けます。在来線ホームは一番端にありまるで土曜サスペンスを観ているかのごとくのスリルを味わいながらホームに入ってきたサンダーバードに滑り込みます。そして息をつく間もなく発車です。気分が落ち着く間もなく右手には琵琶湖が見えてきました。グーグルマップではよくみる琵琶湖ですが、実際に特急に乗りながら眺めるととても大きいことに気づかされます。30分くらいは右手にずっと湖が見えました。京都は都会ですが、一歩郊外に出れば車窓は山口県の風景とそう変わりはしません。このブログを現在進行形で書きながら気に入った風景をデジカメで撮影しながらの車窓の旅です。ビール片手にと言いたいところですが、飲んでしまうとほろ酔い気分で寝てしまいそうで今回はカフェオレで我慢しながらの実況中継です。延々と続く琵琶湖を観ながらふと中学の修学旅行で生まれて初めて比叡山に登るバスの車窓から琵琶湖を観た時の記憶が鮮明に蘇ります。当時の15歳の少年は湖が見えた瞬間に指をさして「琵琶湖だ!」と叫びました。ゆっくりと流れる時が時代を通り越していきます。発車後1時間でやっと琵琶湖とお別れをして雪をまとった山々が見え始めてうっすら春霞でぼやけています。その後ウトウトしかけましたが、敦賀駅で停車してその後少しすると北陸トンネルに入りました。トンネルは結構長く関門トンネルを通り抜けるような感覚です。名前からして山陰に向かっているという実感が湧いてきます。トンネルを抜けると線路脇の山肌にあたり一面に雪が残っています。春本番の山陽からくると別世界です。

陽から陰に向かう列車は武生駅、そしてメガネで有名な鯖江に停車し続いて福井駅まで来ました。あと50分で金沢駅に到着ですが、そろそろ左手に日本海が見えてくる頃です。自分のスマホのGPS機能で現在地を確認するともう日本海は目の前です。停車駅は芦原温泉駅、加賀温泉駅とだんだん金沢に近づいていきます。お彼岸で日もかなり長くなり西の空にまだ太陽が春霞の中うっすらと朱色に照らしています。加賀温泉には15年前に泊まったこともあり懐かしさを感じます。小松駅を出たところで瞬間的に眼前に日本海が飛び込んできたかもしれませんがはっきり見えません。2時間も座席に座り続けると腰が痛くなってくるので、普段は2時間以上もじっと列車に乗ることなどあまりない自分にとって退屈な列車の旅をいかに楽しもうかと考えた苦肉の策ですが、飽きることなく車窓を楽しみながら17時55分に予定通り金沢駅に到着です。この後は同級生と地酒を飲みまくります。

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金沢探訪

今年の日本循環器学会は金沢でありました。金沢は北陸新幹線が開通して首都圏からは日帰りコースとなりましたが、近畿圏経由の我々はまだまだ陸の孤島に近い場所です。山陽新幹線の恩恵を40年前から享受している我々からすれば長崎と並んで一番行きにくい場所でした。新幹線から特急に乗り継ぎおよそ5時間かかります。東京やそれ以遠では飛行機を利用する我々にとって飛行機では中途半端ですが、新幹線も乗り入れてない場所ですからなかなか日帰りは困難です。その気になれば現地滞在数時間ならば日帰りも可能ですがそれでは時間もお金も無駄です。というわけで今回は現実逃避の1泊旅行とあいなったわけです。しかし1万人以上の会員が集まるため宿泊施設も事前に予約できずに学会の斡旋でようやく決定です。金沢には15年前に一度父と弟と一緒に2泊3日で加賀温泉と和倉温泉の加賀屋に泊まって以来です。その前はというと高校の修学旅行で兼六園に行きましたので今回が3回目になります。前日の土曜午後に仕事を終えて新幹線に乗って京都で特急サンダーバードに乗り換えて到着した時には日が暮れかけていました。その日の夜は大学時代のバレー部で一緒に過ごした友人が地元で開業しているために事前に連絡しておきましたので久々の再会です。地元民の地の利を生かして美味しい酒と食べ物を堪能させていただきました。やはり日本海に面しているだけあってかつて過ごした出雲と同じで海の幸は豊富です。ただ北陸の中心都市ですので都会的な華やかさも兼ね備えていながらも城下町としての古き風情も残して微妙にバランスのとれた素晴らしい町でした。京都から新幹線が開通すれば鹿児島同様に我々の地域からの陸の孤島というイメージを払拭するのはまちがいないでしょう。しかし開通にはまだまだ時間を要するため私が元気なうちに金沢に日帰り旅行ができるようになればよいのですが先の事はわかりません。

本題の学会出席は無難にこなして隙間時間をみつけて40年ぶりに兼六園に行きました。前回15年前は金沢を素通りしましたので今回は高校の修学旅行以来となります。大昔の修学旅行の記憶は99%抜け落ちています。なんとなく記念写真を撮ったくらいしか覚えていません。記憶を辿ろうにもその記憶がないわけですから初めて見るものばかりです。周囲を見渡すとネクタイ姿の観光にはほど遠い同業者が園内を散策しています。春分の日の書入れ時の3連休の市内の宿を学会関係者がほぼ埋め尽くしていましたので兼六園でもしかりです。北陸新幹線が開通していなかったらこのような光景にはお目にかかることはありませんでした。なぜなら過去に1万人を超える規模の学会は収容人数の関係で北陸地方では開催できずに京都や大阪で代替開催をされていたからです。この規模の学会は広島でも不可能でこのあたりでは福岡の国際会議場しかできません。北陸新幹線開通による今回の金沢開催は北陸地方にとって大きな前進といっても過言ではありません。そんなことを考えながら散策をしてまた明日から英気を養わせていただきました。疲れも残りながら、明日の心配をしましたが、今回は連休2日目で明日はゆっくり静養です。

 
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がんばりました!300回記念

このブログを始めておよそ6年が経過しようとしています。毎週月曜日の朝一に掲載していますが、諸事情で遅れることもありますが、意地の6年でした。まだまだ1000回には3分の1も到達していません。内容もだぶることを心配していましたが、その気になればその時節柄の話題を取り上げながら自分の思いを混ぜていくと泉のように文章が湧いてきます。自分の思いが込み上げてきた時にはそれが旬なわけでその湧き上がる思いの噴水をタイミングよくすくい上げて書き留めておかないと忘れてしまいます。おおまかには後でも覚えていますが、その旬の思いはその時にしか湧いてこないからです。ですから仕事中などに思い立つとメモ用紙に本当に走り書きにメモって後で落ち着いたときに文章をワードで構成していきます。幸い私の場合仕事がデスクワークに近いため少しの隙間時間があれば仕事画面から個人画面に切り替えて文章を書き始めます。その場合文章と言っても思いのままに書き殴ります。接続詞も句読点も適当で今の旬の思いを掌から水がしたたるように零れ落ちないようにするために書き殴るのです。一気に思いを書くとものの30分でほぼ書きあがります。しかしその時点では読み返してみると全く文章になっていません。でもその時は読み返さずに、その時のありったけの気持ちが入っていればそれでよしです。

そして1週間程度ほったらかしです。その間は全く書いた内容の事は考えませんし覚えてもいません。私の中ではその間は文章を寝かせておく状態なのです。別に食べ物でもありませんし酵母も入ってないので文章自体は発酵なんてしません。しかし私の頭の中のどこかで少しずつ発酵しているのです。これが文章の発酵なのです。かの有名な作家の外山滋比古氏の本を以前読んだときに考えた事は少し時間をおいて頭の中で寝させると書いてあったのを参考にしました。寝かせるではなく寝させると書いてあったのには意味があるのかもしれませんが、文学に疎い私には今でもよくわかりません。しかしその発酵して熟す時間は何も考えてない時でも実は頭の神経回路ではその文章についての推敲が現在進行しています。なぜなら次に文章を読み返した時に以前の考えが正しくてもそうでなくても再びどんどんいろいろな考えが浮かび上がってくるのです。多分人間の脳は意識しなくても一度インプットした記憶はいろいろな関係のないと思われる場面でも神経細胞が発火しては消えまた発火するという行為が繰り返されているのだと思います。そして2回目の読み返しの時には少しずつ文章の繋がりを注意しながら文章らしくしていきます。でもまだまだちゃんとした文章にはなっていません。形式ばかりの文章にしただけでまだ表に出すような文章ではないのです。それから少しずつ暇な時に読み返しては文章の整合性や文法をチェックしながら最終段階に入っていきます。その間トータルの時間はおよそ1時間から2時間でしょうか。つぎはぎの推敲時間と文章をじっくり寝させておいた時間によって少しずつ文章が発酵してやっと毎週月曜に形となって表れてくるのです。最初は大変な作業でしたが慣れてしまえば苦にはなりません。

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