「下剋上受験」ドラマを見て~後編~

1月は西日本の中学受験で2月からは関東で中学受験があります。その試験日のたったの数時間で小学生の青春を犠牲にした結果が待っています。希望が叶う場合もあれば無残に散ってしまうこともあります。とても残酷です。ある団体は「そのような受験を加熱すことこそ問題だ」とかある一部の教育関係者のコメントとして「中学受験は親子の二人三脚だけど親のエゴだ」という人もいます。それはそれで一部は事実ですので甘んじて批判を受けても仕方ないと思います。しかし私がこの受験戦争を走ってきた感想として「受かっても落ちても、たかが12歳の子供がこれほどまでに死に物狂いですることって人生の中で何回あるだろうか?」と思います。最後の受験校の試験時間が終了して教室から出てきた子供の姿の逞しさは親の方がウルウルとしてしまいます。その瞬間に一回りも二回りも成長した子供を見ることができるのです。その光景は親としてはうれしい限りです。万一不合格になれば親子一緒に奈落の底ですが、いつまでも引っ張るのは大人なのです。子供もその場では落ち込みますが気持ちの切り替えは親よりも早く逞しさを感じる瞬間です。下剋上受験の原著にはそのような父と娘の葛藤の500日が詰まっているのです。作者と私は背景も状況も異なりますが、親が子を想う愛情だけは同じだと確信して読み終えました。

今回のドラマでは視聴率も取らなければいけませんので、どうしても登場人物が増えてしまって邪念が入ってきます。作者としては忸怩たる思いはあると思いますが、それでも中卒の父親が可愛い娘にどうにか幸せになってほしいという信念がこのドラマの根底に流れていますので私も毎週楽しみに観ています。できればもう少し主役の父親の心の葛藤を生々しく見せたいところですが、流石にそこを重点的に表現すると視聴率は取れないのかもしれません。もしこのドラマを気に入れば必ず原著を読むことをお勧めします。更に親子の感情のキャッチボールが見えてくるはずです。今月で最終回を迎えますが、東京の名門女子中学の試験日に娘の背中を見送る父親の背中を見るともう胸が張り裂けそうになります。そして合格発表の日、現実はとても厳しく親子に残酷な結末が襲い掛かります。「こんなにがんばったのに、受験の神様なんていないのだ」と当時の私も思いました。しかし「我々親子以上に頑張った親子の元に受験の神様は微笑むのだ」と後になって気づかされました。何事もなかったように子供は元気に別の中学校に通っています。「あの時の嵐は一体何だったのか?」過去の凄まじい思い出はまるで嘘のようです。「でもそうやって一歩一歩親子共々成長していくのかなあ」と今では思うことができるようになりました。

2年前に原著を読み受験対策で重なる部分があり作者にメールして意見を伺ったこともありました。今回ドラマ初回の放送日の朝、中学受験という大きな壁に挑んだ同志としてエールを送りたく作者に再度メールしました。その返信にはやはり私と同じ気持ちが1行さらりと書かれていました。「子供の成長、本当に早いですね。びっくりします」この一言が共有できて子供との二人三脚の中学受験を私もやっと卒業できたのかなと思えました。

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「下剋上受験」ドラマを見て~前編~

この1月から金曜の夜10時から「下剋上受験」というドラマをやっています。個人的にはドラマはあまり好きではないのでこの10年まともに欠かさずに見たドラマは「あまちゃん」か「ドラゴン桜」くらいだったでしょうか。今回このドラマに非常に肩入れしているのは勿論この10年間子供の受験というものに大きく関わってきたからに他ありません。ちょうど2年前にこの原作を書店で見つけて最初は「少しうさんくさいかな?」と思いながら読み進めていったのですが、読み終えると同時にこのノンフィクションは中学受験を通して親が子を想う愛情物語だということがわかりました。同じ子供を持つ親として、子供の幸せを祈る気持ちは万人共通でしょう。その表現型として中卒の父が子供へ託す幸への想いを中学受験という受験勉強を通して二人三脚でがんばっていく物語なのです。興味のない人には全く関係ないかもしれませんが、少しでも受験に本気で関わったことがある人にとっては共感できる部分が多々あるのです。

その共感者の一人が2年前の私でした。子供に中学受験をさせましたので塾にも行かせましたが、ある程度は親も子供の学力を知る必要があります。また塾で教えてもらっても本人が理解して消化しきれない難問も多々あります。そのような問題は捨て問と受験業界では呼ばれていますが、そのような問題を頑張らせても時間の無駄で不合格となってしまいます。後々にゆっくりと受験問題を味わうにはとても良問のことも多いのですが、制限時間内にその問題と格闘してしまうと「ドツボにはまって、さあ大変!」となる可能性大なのです。そして「不合格」の烙印を押されかねません。私もかつては数学が結構得意でしたので、中学受験算数つまり小学算数くらいはお手のものと高を括っていました。しかし中学受験算数はx、yという方程式を使えないのです。使って正解してもそれで受験校が不合格にすることはないのですが、やはり使えないなら使えないなりにどうにかその問題の解答を導こうとするのですが、その場合とてつもなく難問に変わってしまうのです。難問というよりは発想の転換が必要でその解法を教わると目から鱗が何枚も落ちるほど感激します。そのような解法は頭のまだ柔らかい小学生ならすぐに理解できるのですが、杓子定規で連立方程式で解こうとする私たち大人にとっては難解なのです。そのような算数脳を理解することは年老いた我々の石頭では不可能に近いほどの難関なのです。言い換えれば大人になっていく過程で全ての難解な問題をx、y、zに置き換えて何も考えずに淡々と複雑な社会問題を解き始めるのです。それはそれで大人として生きてゆく手段としては非常に素晴らしいツールなのですが、一方でその力任せに問題を解決しようとする手法ではどうしても限界が来るわけです。それがこの歳になって痛いほどわかるのです。若い頭には勝てないと。私もしみじみと感じました。そのような背景があってこの「下剋上受験」という本と出会い本の中でこの主人公のお父さんと会話が成立したのです。前置きが長くなりましたので本題は次回に回します。

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運転免許

この春休みを利用して長女が自動車の運転免許を取得するために自動車学校に通っています。私も大昔の大学1年の春に同じように春休みを利用して通いました。後期試験が終了するのが2月末ですから期間はおよそ1カ月。脇目もふらずに毎日自動車学校通いでギリギリ最短で取得しなければならないハードスケジュールでした。どうにか4月には運転免許証が交付されるも当時の東京での下宿生活で往復は発達した交通網のため車に乗ることなどは皆無です。乗るとすればレジャーでということになりますが、流石に都会の渋滞ラッシュの中でペーパードライバーがレンタカーを借りてまで乗ろうという気持ちにはなりえません。反対車線が見えないほど何列もある車線の両サイドをビュンビュン飛ばして追い越していく車、車、車。そして前後はちょっとでも脇見をしようものなら追突してしまうくらいの車間距離。どれをとっても田舎でノンビリ教習をしたドライバーでは都会の運転は不可能だと運転免許を取得した早々に思い知らされました。ですから下手に運転免許証を持っているとろくなことはないと思い実家に免許証は置いたままの6年間でした。

話は少し逸れますが、当時はまだまだ窓口での本人確認は適当でした。勿論オレオレ詐欺やマイナンバーもありません。「俺は俺!」と顔写真などない健康保険証か学生証で事が足りていました。現在の本人確認で写真必須は勿論でその他に下手すれば指紋照合にもなりかねない時代です。そんな便利ではあるけれども昔より住みにくい世の中になったのかもしれません。しかし科学が発達すると車は自動運転になりいずれは運転免許証自体いらなくなる世の中がくるかもしれません。我々の時代は運転免許取得の講習車はマニュアルのクラッチでした。今の講習車にマニュアル車はまずないでしょう。また講習者もオートマが全てでマニュアルやクラッチという言葉自体が死語化しつつあるといっても過言ではありません。昔、教習所で坂道発進の練習をした時に思いっきりふかしてクラッチを切ったときにはストンとよくエンストをおこしていました。実地でも同じような場面があり信号機が約30秒で青から赤に変わる場所でした。嫌な予感がしていましたが、案の定エンストして青信号で渡り切れずに赤信号になってしまいました。後続車には申し訳ないことをしましたが、下手くそな教習者とノンビリとした寛容な町だったのでしょう。後続車の運転手は何も文句を言いませんでしたが、教習中の一番の失態の思い出となりました。

先週から長女は教習所場内から仮免で外に出て実地が始まりました。昔と違ってオートマはスムーズに乗れるようです。しかし慣れないことの連続に変わりはなくかなり精神的にも肉体的にも疲れているようですが、3月下旬までに警察の実技とペーパー試験に合格しなければ夏休みに持ち越しになります。また仮に合格したとしても私の時と同じく運転免許証を自宅に置いて行かせるつもりです。努力の結晶である最初の運転免許証は第1回目の更新までは金庫に眠るだけの正真正銘のペーパードライバーで事実上ゴールド免許の予定です。そして夏休みには愛車のマーチに乗って助手席は私が乗り教官に早変わりです。

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ふるさと納税

2月も中旬になると毎年のことながら税理士さんが忙しくなります。そうです。確定申告の季節です。源泉徴収のサラリーマンはあまり関係ありませんが、自営業は何かと気忙しい季節の到来です。しかしうちの場合ほとんど全て税理士事務所がするので至ってのんきなものです。昨今は議員の政務活動費の不正で税金の無駄遣いに関心が集まっています。また地方行政は東京と違って潤沢ではありませんので、品物をぶら下げて他の縄張りからお金を集めようとしています。東京は東京でたまったものではないでしょう。いくら税収が豊富と言っても東京の人々が東京に税金を払わずに地方の美味しいもののために税金を払うのですから、ただ手をこまねいてみていれば今よりも減収になるわけですからいろいろな知恵を絞るはずでしょう。また地方によって海産物や畜産物や農産物など有名なものがあれば悩まずともお金を他所からひっぱってくることができますが、限界集落をかかえた高齢過疎の町村ではなかなか無い知恵を絞っても特産品は出てこないかもしれません。田舎にはきれいな自然と空気と水はありますが、税金集めのための品物としては不向きなものばかりです。しかし本当はそれが人間にとって最も大切な物であることは皆が現代の世の中を生きていくうえで忘れてしまっています。だから都会に住んでいた人がUターンやIターンで田舎に行くとそこは宝の山であるとよく言われるのは最もな事です。そしてそこで起業して成功を収めて地方にも活気と潤いを与えてくれます。

ふるさと納税はお金の流れを変えてそれぞれの地域に競争原理を取り入れた素晴らしい手法だと感心していますが、個人的には好きになれずやっていません。地元の役所が頑張らないのが悪いから他県の役所にお金をあげて美味しいものを得る。そうすれば他の役所は潤い自分も美味しいものが食べられる。しかし頑張りが不足すれば自分の住む行政サービスが低下する。そうしないためにも地元の市長さん以下職員が頑張ってよいアイデアを出して税金を集めてくださいという趣旨になります。チャンスを与えて競争を促すことはよいことですが、必ず勝負事ですから敗者も出ます。その敗者自治体はどうやって敗者復活戦をするのでしょうか?そのセーフティーネットがないと負けっぱなしということにもなりかねません。少しひねくれているかもしれませんが、そのような事を考えると美味しいものよりもこの周南市に税金を払う方が良いのではないかと思ってしまうのです。でも皆が私のような考えでは競争原理が成立しませんので、隣の人はふるさと納税で美味しいものをゲットすればそれでよろしいのかなとも思います。

ふるさと納税をされた経験者に体験談を聞くと皆さん口を揃えて「やらなきゃ損」と言います。勿論それを聞く度に今年こそはと私も思います。しかし持って生まれた性格が面倒くさがり屋ですのでなかなか重い腰が上がらず、やろうかなと思ったときは確定申告が終わっていて、また来年へ先送りとなっています。結局今年も来年度への先送りとなってしまいましたが、来年度こそはふるさと納税チャレンジ??と思っています。

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努力と好きこそものの上手なれ

私は昔から努力すること自体は嫌いではありません。努力しないで「未来のやらなかった自分」を想像することが嫌なのです。そのため辛くとも無理してがんばってしまうことが多い人生でした。しかし努力だけで全てがうまくいくことはあり得ません。努力についてはそれ以上深く考えたことはありませんでした。アナログ手帳に計画を立てながら「がんばる自分」と「結果を出した自分」を想像することの方が「がんばらなかった自分」を想像するより容易でした。最近、養老猛先生の本で読んでいて「自分の努力感」についてすっと腑に落ちました。その非常に奥の深い一節を載ますので一緒に考えてみましょう。

自分の気持ちを掘り下げて見ると突き当たることがあります。それは自分は本当に医者になりたかったのか、という動機です。じつはなりたくない。私は無意識のうちに、そう決めていたんじゃないか、と思います。自分は本気ではない。そういう人が医者の修行をすると、どうなるか。修行を済ませるためには、他人より一生懸命にやるかもしれません。だって根元に嘘があるのだから、仲間に追いつくためには、余分に努力するはずです。ちょっとややこしいですが、そういうことじゃないかって、ずいぶん後になって気づきました。好きこそものの上手なれ、といいます。好きじゃないことで上手になろうとしたら、大変な努力が要りますよね。しかも最終的にはたぶん、うまくいかないでしょうね。事実、私はそうなったんだと思います。~養老猛「自分」の壁より~

昔から努力は美化されてきましたし、私にとって今でも素晴らしいという思いに変わりありません。例えば義務教育の時代は将来必ず役に立つと信じて嫌でも数学や英語を勉強させられました。結果的に本当に今の自分に役にたったかと言えばはなはだ疑問であることは20歳そこそこで薄々感じていました。しかし当時はその妄信を点数評価というごまかしですり替えられていたような気がします。なぜなら音楽でも美術でも体育でも好きなことをする時に努力は不要でした。やっていて楽しかったはずです。しかしいつの間にかそれが結果という目的に変えられて面白くなくなったこともよくありました。「がんばる」「努力する」という行為自体は尊いものですが、目標や結果の到達の手段として自分の中の歯車に組み入れられると修行にたちまち変わるのではないかと思います。当然、自分もそうだったのかと腑に落ちたわけです。今でも自分で好きな英会話の勉強やジムでのトレーニングは苦しいこともありますが、それでもやりたいと思ってしているので努力しているとは思いません。一方で専門医更新のための最新の医学知識を吸収することは苦痛です。これこそ嫌いだけれども仕事で仕方ないからがんばろうと思って努力しているのです。

昔、養老先生と同じように医師を目指したときのことを今になって思い出そうとするのですが、なかなか思い出せません。論理的に養老先生に本の中で私を責められると「本当の自分」は医師という職業を「好きこそものの上手なれ」と思っていたかと問われるとはなはだ疑問です。周りの同級生もそう思っていたかどうかも不明です。

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