末っ子の初めての文化祭

お盆明け早々に佐賀に夏期講習のために戻って行った末っ子ですが、9月の第1日曜日は文化祭でした。初めての文化祭ですから都合をつけてでも行かないわけにはいきません。今回は前日に佐賀駅前の東横インに泊まりました。地方価格でしょうか?土曜1泊ツインで1万円を切ります。これからも何度となくこのホテルを利用することになりそうです。夕食は寮から末っ子に外出許可を提出させて贔屓のお店を作るべく前回の運動会の時にお邪魔した自然素材をいかしたレストランに再び行ってみました。前回に食べた有機野菜サラダやドレッシングがとても美味しく佐賀の地元で採れた赤ブドウから作った紅茶の香りがとても印象に残っていたからです。今回も自然素材を生かした料理をご馳走になり末っ子は佐賀牛のステーキを頬張っていました。

翌日は早朝から学校に出向きいろいろな催しを見て回りました。普通は土日の2日間が多いのですが本校は1日のみですので半日で凝縮した催しが盛りだくさんでした。催しでも高校生がする催しと新中1生の催しでは当たり前のことですがレベルが違います。それでも我が子が絡めば少々幼稚さが抜け切れなくても十分楽しむことができます。これが赤の他人ばかりでしたら物足りなさを感じるかもしれません。オープニングで新中1生のみのクラス対抗合唱コンテストがありました。まだ小学生が抜け切れていない幼稚っぽさがまだ中1にはあります。前日初めて子供から聞いて知ったのですが、末っ子は合唱で指揮を担当です。後で聞くと指揮をする人を選ぶ際に自ら進んで手を挙げたとの事でした。次に向かった場所は夏休みの理科の課題作品が展示されている理科室です。子供一人では無理であろうと思われる親子二人三脚の作品がズラリと並び、優秀な作品には金色の紙が貼ってあります。うちは夏休みの2週間で食パンを家のいろいろな場所に放置してカビが生える実験をしました。ヤマザキパンを使用しましたが、開封せずに空気に触れなければ夏の常温で放置しても見た目には2週間以上もカビが生えてこない結果には親子ともどもビックリです。自由研究のアイデアや方法や考察など一部は親が手伝いましたが、ほとんどは子供にさせました。そういう作品は内容やまとめ方を見ればわかりますが、それはそれで立派なものです。勿論、金銀の紙は貼ってはありません。来年も夏休みの課題として自由研究がありますので、次は他の親御さんと同じようにもう少し手伝って銀色くらいを目指してみようかなとも思いながら他の作品を入念にチェックしておきました。

午後になると心の中で「そろそろ帰らないと明日が辛いなあ」と思い始めます。これから運転を3時間して家路に着かなければなりません。最後まで文化祭を見学したかったのですが、道路の込み具合を考えて早めの出発をすることにして閉会式は見ませんでした。後で子供から聞いたのですが、うちのクラスが合唱コンテストで優勝して何と末っ子が賞状を代表で貰ったそうです。そこまでは想定外でした。想定内ならもう少しがんばって居残っていたのですが。また来年の運動会や文化祭で少し成長した子供を見たいものです。

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ハワイって素晴らしい~マウナケアに登って

今回はマウナケアについてお話をしましょう。マウナケアは4000m級の火山で現在はキラウエアのように活動はしていません。そのため世界中から天文学者が集まり天体観測をしています。日本からもスバル望遠鏡が活躍しています。そのような場所ですから観光客は山頂まで一部を除いてアスファルトで舗装された道路を車で登れるのです。富士山よりも1000mくらい上まで車で登れるのですから観光客も押し寄せます。常夏の海岸からなだらかなスロープのようなアスファルト道を四輪駆動のバンで登っていきます。徐々に風景が亜熱帯から温帯気候に変化していきます。周りは見渡す限りの牧草地帯で世界最大の牧場を眺めながら登っていきます。この牧場は東京23区がスッポリと入る程度の広大な敷地でヤギや牛がポツポツと点在しています。そこから車で30分ほどの2800m地点で高山病予防のために休憩を1時間ほどとって体を慣らします。その休憩場所はオニヅカビレッジと言います。ハワイではオニヅカ氏は超有名人で、日系人として初めてスペースシャトルチャレンジャーに乗り込み、1986年の爆発事故に巻き込まれた宇宙飛行士でした。そこで日本のコンビニ弁当とほぼ同じものが出てきましたので、日本の先人たちの凄さに再度感心させられた瞬間です。体慣らしが終わると一気に30分で山頂へアタックです。

車で一気に駆け上りますがほとんどがアスファルトで4000mを超えるという感覚がありません。どんどん頂上へ向かうと月面かと思うようなゴツゴツとした岩石に眩しいばかりの太陽が照りつけて日向と日陰の濃淡が対照的です。いくつもの丸い天体観測所を横目に見ながら夕日が沈む30前に到着。そこは地上と比べて酸素が60%しかなくゆっくり行動しないと倒れますよとガイドに言われていましたが、それほど空気が薄いとは感じませんでした。しかし寒いのは当たり前。氷点下ではないにしても日本の冬の寒さでダウンジャケットが必需品です。時間とともに雲海の上から望む大きな夕日がオレンジ色へと徐々に変わっていきます。昨日は海に沈む夕日でしたが、今日は雲に沈んでいきます。その息を飲むような光景にはただただ見惚れるばかりです。この夕日に明日からの人生へ願いを込めて祈りを捧げたいという厳かな気持ちになりました。沈んだ後にもまだオレンジ色の帯が雲海に伸びその上から青白く黒い闇のカーテンが迫ってきています。その夕日を見た後にはまたオニヅカビレッジまで降りて満天の星空観測です。今日は上弦の月(新月と満月のちょうど中間)でかなり夜空が明るくなり新月と比較すると40%くらいしか見えないそうですが、それでも日本の夜空と比べると満天の星と言っても過言ではないでしょう。そのような星空で北極星や天の川などいろいろな星座を説明していただきました。また天体望遠鏡で土星の輪や月面のクレーターも見せていただきました。

常夏の海岸から車でおよそ数時間、そこは全くの別世界。その世界から太陽や宇宙を望みます。とても人間がちっぽけに見えます。そして青い地球の素晴らしさを感じたツアー旅行でした。次回はハワイ島一周での出会いをお話します。

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今年の夏休みを終えて

今年の夏休みは子供たち3人がそれぞれクラブ合宿や試合、夏期講習などでまともに顔を揃えたのはハワイに行った1週間だけでした。ハワイから帰るとまたそれぞれの予定があり散っていきました。次の全員集合は年末年始の1週間でしょう。長女は大学生最初の夏休み前の前期試験が終わってからテニス合宿などで大忙しでした。長男は高校2年でまだまだ受験モードに入ることなくノンビリモードです。自分が高校時代は共通一次まで高2の夏からあと500日とカウントダウンしていました。やはり私自身が気の早いせっかちな性格なのでしょう。当時の周囲の友人のほとんどは今の長男と同じだったと思います。どうしても自分の経験を価値基準の物差しとして他人を診断するため、長男のノンビリモードには少し腹が立ちます。そして言わなくてもよいことついつい言ってしまい喧嘩になります。長女もノンビリモードの高校生で我慢してもしきれず同じように小言を言っていました。しかし言ったから「はい。やります」なんてあり得ないので、言うだけ波風が立つだけでろくなことはないと経験上わかっているのですが、それでも言ってしまいます。それが親の嵯峨でしょうか?末っ子はというとこれが山のように宿題が出されてヒイヒイ言っていました。特に家族で遊んだ分かなり時間がとられましたのでお盆前後を除けば実質2週間で朝から晩まで宿題に追われて8月22日から学校が始まりました。

昔は今ほどではありませんが、それでも当時の医学部も結構難関でしたので、時間的にきつかったのは高校時代でした。睡眠時間を削っていつも眠いという感じでした。大学生の方がよっぽど睡眠時間は十分に足りていました。そこがアメリカなど欧米とは異なるのでしょう。海外の大学では入学はウェルカム、卒業はオーマイゴッドで、日本は反対で入学さえすれば卒業はどうにでもOKです。ですからどうしても高校もしくは予備校までにエネルギーをかなり費やして燃え尽き症候群になるのかもしれません。将来大学の入学試験大改革が末っ子の上の学年から始まりますのでどうなるのかと戦々恐々としています。それもあってか中学が山のように宿題を出しているのかもしれません。親からすればバカなもので宿題をたくさん出されてヒイヒイ言って机に向かっている子供を見るとなんとなく安心してしまいます。その気持ちは親になったことがあれば誰でもわかるでしょう。内容は二の次なのです。そしてその結果は一部の優秀な生徒を除いては全くあてにならないこともしばしばです。一方で長男のようにダラダラと寝転がってピコピコされた日には要らぬことを口走ってしまいます。どちらにせよ結局は受験の結果さえちゃんと出せば文句はないのですがなかなかそうはうまく事は運びません。長女はあと卒業まで5年半、長男は1年半+大学生、次男は5年半+大学生とまだまだ金食い虫です。自分も親になって初めて親としての経験をさせてもらって懐が深く面の皮が更に厚くなってはきましたが、それでも気が気ではありません。しかし10年後の目標があるからこそ頑張れるわけで子供たち皆が学生を卒業したら一気に私は老け込むのかもしれません。

毎年恒例のサギソウを患者さんが届けてくださり病院に飾りました。今年の残暑もそろそろ終わりを告げそうです。

サギソウ

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ハワイって素晴らしい~異国の地に降り立って

ハワイ島は皆さんご存知とは思いますが、日本人ご用達のワイキキビーチのあるホノルルのオアフ島から飛行機で40分ほど南に位置するハワイでは最大の島です。そして車で1周するには半日かかるほどの大きな島です。そのハワイ島に住んでいると叔母といとこに会うために今回初めてその地に行ってきました。ハワイで一番新しい火山活動でできた島とは聞いてはいましたが、飛行機から見たハワイ島は真っ黒な溶岩が固まったゴツゴツとした荒々しい島というのが第一印象でした。ワイキキを想像するとかなりの違いです。いとこが生まれ育った地に生まれて初めて降り立った瞬間やっとこの地に来たのだという感慨深い気持ちになりました。形式上は国際空港ですが、地球の歩き方に書いてある通り本当に素朴な空港でした。しかし旅に出ると全てが新鮮で一期一会の瞬間の連続です。日本で豊かな生活を送っている私たちにとっては日本の素晴らしさを改めて再認識する瞬間でもあるのです。空港の到着玄関には明日会うはずのいとこと叔母が待っていました。およそ17年ぶりの再会です。アメリカ式の再開はハグから始まり、末っ子は初対面です。少し照れながらの挨拶でした。

早速、ホテルに向かいます。当然ですが、アメリカでは車は右側通行だと頭に入ってはいますが、いざその場に遭遇するとやはり面喰ってしまいます。車でおよそ40分かけてこれから5日間宿泊するヒルトンワイコロアビレッジに到着です。ここは東京ドーム20個分くらいある広大なエリアに1240室もの部屋があり、ホテル内の移動には路面電車や船があり歩いて行こうとすると30分くらいはゆうにかかります。日本人は英語が苦手ですが、大体どこの主要都市のホテルでも片言の日本語が可能です。これも先人たちが海外にジャパンマネーをもって果敢に出て行ってくれたおかげでしょう。このホテルでは日本語専用のデスクがありそこで日本にいる時と同じように日本語でチェックインできるシステムで本当に楽でした。それからはいとこと叔母とで積もる話に花が咲き時間はみるみる過ぎていきます。すぐに夕暮れになり夕食を共にしました。明日からはいろいろな予定が入っています。そして長旅の疲れで翌朝は昼前まで寝て起きることができませんでした。

起きて窓を開けた瞬間、南国の爽やかな風が吹き太陽は燦々と輝いています。南国に来たなあという思いを存分に味わえる瞬間です。外を散歩すると太陽の光が眩しく皮膚に照りつける紫外線は痛いくらいです。それも日本では感じることのできない瞬間です。見るもの感じるもの全てが初めてで暖かいというよりも熱いと言った方がよい空気を胸一杯に吸い込みハワイ島での1日の始まりです。昼食はプールサイドで簡単にポテトやハンバーガーなどのファーストフードです。目の前には多国籍人種の老若男女が水着で泳いで遊んでいます。異国情緒のある国際感覚に富んだ光景です。今日の午後の予定はマウナケアに登って夕日と星空観測の予定です。マウナケアは4000mを超えて富士山より高い山です。その雄大な素晴らしい光景はまた次回のお楽しみとさせていただきます。

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遠く離れた姉妹のいるハワイ

ハワイ
うちの叔母はハワイ島のヒロという町に住んでいます。母親の妹なので今年80歳になります。若い頃に移住して娘が一人います。私から見ればいとこになります。昔私が小学生の頃から6年間新南陽に住んでいましたが、やはり生まれ故郷というのは誰にとっても思いが深くなるのでしょう。再び故郷に帰っていきました。それから37年の間に何回かは行き来があったのですが、最後に両親がハワイに会いに行ってから13年が経過します。姉妹が揃って80歳を過ぎ先も少し見えてきた今日この頃です。私は母にもう一度は死ぬまでにハワイに行って来いとよく言っていますが、大の飛行機嫌いでその上80歳を過ぎて体に自信もなくなってきたのでしょう。決して「はい」とは言いません。国際電話ではよく話すのですが、決して会いに行こうとはしません。今では車いすの高齢者だってどんどん海外に行く時代で、飛行機の乗る際にも最優先でCAが介助してくれます。いざ乗ってみれば簡単なのですが、食わず嫌いにいくら美味しいものを差し出しても食べないで残すのと一緒です。私は叔母が住んでいる地にはまだ一度も足を踏み入れたことはありませんので常々一度は母を連れて行きたいと思っていましたが、この頑固婆さんに言っても無駄だとやっと最近になって気づきました。そこで責めて自分だけでも行こうと思って行けるタイミングをずっと数年前から見極めていました。

ここ数年の間、子供の受験や進学で振り回されてきました。また学校行事のため皆で動けないことが日に日に増えてきたのを実感しています。それを考えると本当に家族5人で私が叔母に会いに行くタイミングは今年の夏休みしかないことを数年前から気づいていました。1人ならいつでも行けますが、叔母さんが元気で尚且つうちの両親も病気で入院などせずに元気で皆が揃うときなど金輪際あり得ないわけです。お金もかかりますが、それ以上に今挙行しなければ一生ハワイの地に行けずに母や叔母もいずれ亡くなり「あの時行っておけばよかった」と後悔の念にかられたくなかったのです。勿論お金がなければ行けりゃしません。しかし少しの蓄えを切り崩してでも行けるならこれが本当に生きたお金の使い方ではないでしょうか。私が個人的にヒロという地を以前から訪ねたかったのですが、それ以上に鳩子になる子供たちに一度でもいいから叔母の住む地を見せてやりたいという気持ちが強くなったのです。これから歳を取るごとにどんどん家族が離れ離れになっていくのです。叔母もいとこも口にこそ出しては言いませんが、ハワイでの生活も多くの困難や苦しみもあったと両親から聞いています。しかしそれこそ「終わりよければ全てよし」となればいいのではないかと思って母の代理になれるかどうかはわかりませんが今回のお盆のハワイ島旅行となったのです。

次回から数回に分けてハワイ島の叔母の住む昔の昭和を思い出す日本人街ヒロや富士山より高いマウナケアでの星空や夕日、キラウエア活火山などハワイ島の素晴らしさについて言語を駆使して皆さんに伝えたいと思っています。

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