大阪日帰り旅行までの準備

前回の続きで7月初旬の日曜に大阪の万博記念公園にある映画館まで日帰りをしてきました。トップガンに対する個人的な思い入れのためだけでこんな行動をした自分に驚いています。昔の自分なら観たい映画であっても5回も観に行きませんし、ましてやその目的だけで大阪まで日帰りするなんてあり得ません。新型コロナの渦中で後戻りできないと思う程に歳をとったことも一因でしょうか。今回はその行くまでの経過を実況中継します。

まず109大阪エキスポシネマの座席予約は3日前の午前0時から開始です。事前にネットで通常の曜日と週末では予約数がかなり異なることが予想されるため予約可能になる日まで毎朝大阪人がどれくらい座席予約をするかを3日前の朝までチェックしました。すると公開されて早40日経過していますが、やはり週末だけはトップガンのIMAXレーザーは異常に多い予約数です。午前2時に確認すると400の座席のうち150程度埋まり朝6時には半数が予約済みです。3日前の昼には300席は埋まっていました。その結果から予約3日前の午前0時に私も照準を合わせました。実際、午前0時20秒には待ち人数が1000番目でネットに繋がりにくい状況でしたが、どうにかチケットはゲットできました。こんなスリル感は東京五輪のチケット予約以来です。そして当日までに徐々に気持ちも高ぶっていきます。夏休み映画が始まる直前でそろそろロードショーも終了前ということをオールドトップガンファンはわかっていますので、この機会を見逃せば死ぬまで大型スクリーンで観ることは不可能だとわかっています。更にIMAXは1日1回しか上映されませんのでこのような行動はファン心理としては当然のことでしょう。今回は折角ですので家内と二人で大阪に行くことにしましたが、家内もトップガンは3回目の鑑賞になります。

木曜明けの深夜に映画の座席指定券をゲットしてから今度は新幹線の指定席の予約になりますが、コロナ前までは学会の専門医の更新のための単位を取得するために大阪日帰りで朝一番の新幹線は結構ありましたが、新型コロナ騒動でリモートが出現してほぼ皆無になり、ネットで新幹線の指定座席予約する方法もほぼ忘れかけていました。また今回はJR西日本の株主優待券がありましたのでそれを使わない手はないことも大阪行きを決心した理由の一つです。なぜなら株主優待券を使用するとJR西日本の管内なら乗車券と指定席特急券が全ての区間で半額になるからです。そんな期限付きの美味しい半額券なので管内のできるだけ遠くまで使用したくなるのが欲を持った人間の性で、広島往復で使用するには勿体なさすぎるし東京は区間外なのです。結局はまんまと相手の手の内でお金を使わされることになるのですが、この半額券がなければトップガンの5回目の鑑賞のための大阪日帰り旅行はなかったかもしれません。映画の座席予約と新幹線の指定席予約したのが大阪行きの3日前でした。あとはたかだか半日ですが、映画以外の残り時間に喰い倒れの大阪かこの50年間夢にまで出たけれども一度も間近でみていない太陽の塔か、それともワンポイントで京都のお寺巡りをしようかと心を弾ませながらネット検索が続きます・・・Continued

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にわか仕込みの映画評論家になる

先月、トップガンを観に行きとても感激してその後もずっとその余韻に浸り続けていますが、一方で何かモヤモヤしたものも残っています。以前から1作の映画に対して映画館には1回だけ足を運ぶものと決めつけていましたが、実はそうでもないようです。なぜなら第1作目のトップガンをこの36年間、2回目以後は自宅のテレビやDVDで何度も観ましたが、何度観ても迫力に欠けて何かが足りません。36年前に映画館で観た時の感動が全く蘇ってこないのです。当時はまたいつかどこかの大スクリーンで再会できるだろうと高をくくっていましたが、結局会えませんでした。今回もこの2ヶ月弱のロードショーを逃したら死ぬまでこの感激した映画を大スクリーンで観ることができないかもしれないと思うと居ても立っても居られなくなり、映画館に2回目の足を運びました。2回目を観ると1回目では見落とした場面や理解できなかった言葉のやり取りが腑に落ちることも多くありました。さらに大画面での視覚効果が絶大だったことは言うまでもありません。映画館に複数回足を運んでも良いという自分の中でのルールが変わるとまた行きたくなり、3回目を観に行きました。ネットでも50歳代以上のオールドファンが2回以上映画館に足を運んだ割合が10%以上いるとのデータも出ていました。

3回目まで行くとこれで打ち止めというのが一般的ですが、もう金輪際ここまで映画にのめり込むことはないであろうと思うと、次は4DXとIMAXが気になってきます。にわか仕込みの評論家が簡単に説明します。4DXは映画館のイスが動いたり水や煙などが噴射されたりして視覚と聴覚だけでなくその他の感覚つまり肌で感じることができます。実際に4回目は広島まで行って4DXを経験しましたが、USJほど肌で感じることはできずに思ったほど感動はありませんでした。何よりも特殊なイスを使用しているために会場内の収容人数が80人前後の狭い部屋となりスクリーンがあまり大きくないために迫力に欠けることが一番の原因ではないかと思います。そこまでくれば5回目はIMAXになります。IMAXとは詳細を今はやりの画素数でいうと4Kに相当してスクリーンでも特大スクリーンが必要です。更に音響効果も前から後ろから横からと音が飛び込んできて臨場感が増します。ただしネットで調べるとIMAXの全ての基準を満たしている映画館は東京と大阪にそれぞれ1館しかありません。ということで大阪の万博記念公園にある映画館まで7月初旬の日曜日に日帰りをしてきました。映像と音響の迫力には本当に感激してIMAXの素晴らしさを堪能できました。これから先にここまで1本の映画に情熱を注ぐことがあうかどうかは不明です。今回のトップガンIMAXの詳しい実況中継は後日のブログに掲載する予定です。

にわか仕込みの映画評論家としての総括は、映画は日常にはない大スクリーンと音響によって臨場感を伴うことで人の心を揺さぶるのであって、4DXで体を揺さぶる必要性はないと思います。また字幕と吹き替えを両方観て何回同じ映画を観てもその都度新しい発見が必ずあります。最後に一言「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」・・・・・Continued

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物欲と心欲

人間には欲望があります。その欲望には形あるものと目に見えないものの二種類があります。前者が物欲なら後者は心欲と表現すればよいでしょうか。心欲という言葉は少しわかりにくいので精神的満足と言い換えればわかりやすいかもしれません。世の中はどうしても目に見えるものを評価しがちですが、本当に大切なものは目に見えないものだと個人的には思っています。

それではまず物欲から論じてみましょう。物欲の代表選手はお金でしょう。ただしただの紙切れであるお金はそれ自体に価値があるのではありません。その札束の厚さや預金通帳の0の数がそれと等価である別のものに交換できるために欲しいものなどを数値換算できるからお金は物欲の代表になります。いわゆる人間にとっての物理的な価値基準の物差しと言い換えることもできます。努力の対価が数値換算されて報酬としてお金が支払われますが、あくまでもお金が目的ではなくその努力の結果であるということは誰もが承知しています。しかし歳をとるにつれていつの間にかお金が主人公になり努力の代償である個人の努力は忘れ去られがちになります。最終的にはお金を増やすこと自体が目的化されることも多くなり、人間はお金に操られて自分自身を見失ってしまいます。勿論、借金があればそれを返済することが主目的になりますが、いつの間にかどんどんお金に縛られていきます。同時に物に対する執着心も心の中を覆っていきます。それが物欲の本性だと思うのです。お金が決して悪ではありませんが、それ自体が主役になるとよろしくない状況に陥りやすいのです。一方で心欲は自分の脳みその中にしか存在しません。しかしその空間は果てしなく広がっておりその空間を全て満たすほどの満足は到底できません。そしてその空間では自分は自由に往来でき誰も邪魔しません。いわゆる思想の自由です。またその中では自分が好きなことを考えて自分が好きなことをしてそれで自分が満足できれば他者の関与はありません。自分の心が満たされ満足していれば、他人から自分を否定されても全く関係ありません。しかし自分を含めて凡人はなかなかそう割り切れません。

以前から物欲と心欲について引っかかっていましたが、歳をとるにつれてその違いがはっきりと見えるようになってきました。若い頃は子供を育て生活をしていかなければなりませんのでお金を稼ぐことも重要な目的になります。しかし運よく順調に借金を返済して子供たちも巣立ちして自分たち夫婦だけでそれなりに生活していくだけなら若い頃のように必死で物欲に駆り立てられることも減ってきます。物欲から心欲に変わるということはある意味で幸せなことだと思います。以前なら子供の塾代も良い学校に行かせるというある種の物欲であったのかもしれません。しかしそれを達成するとその達成感は精神的満足である心欲へと変わります。人生も歳をとるにつれて物欲から心欲に変われればそれにこしたことはありません。人生最後の死ぬ間際に一言「いい人生だった!」と言えれば墓場まで物欲を持っていく必要はありません。

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数学と物理と化学は実社会にいかに関わっているか?

高校数学と物理を自分の今までの経験と知識を駆使して頑張ってきましたが、その根本的な違いについてやっと見えてきました。数学は決まった公式、つまり実社会で言えば法律ですが、そのルールの中でいかに論理的に且つ最短のルートで問題を処理して進めるかを学ぶ学問です。そこには計算という単純な作業が含まれています。いかに優れた論理を構成できても途中経過の単純作業も見逃せないのです。一方で物理はこの世の中の現象を物質から見てその本質をいかに論理化して法則を導き一般化する学問です。ですから数学と異なり単純作業である面倒くさい計算は必要なく単なる文字や記号で表現されます。言われてみればその通りなのですが、その普遍的なルールを見出すまでに10歳から始まった義務教育や大学までの高等教育では到底間に合わず、一般社会の荒波に揉まれながら更に50歳という御年になって再び高校数学と物理を履修してその普遍性に気づくことができました。しかしその普遍性を見抜いてしまえばこれから先の数学や物理の勉学が更に楽しくなること間違いありません。歳を重ねるにしたがって計算などの単純作業は若い頃と比べると能力は極端に低下しました。計算ミスは勿論の事ですが、それ以前に面倒くさそうな計算を見ると昔なら勇ましく立ち向かっていきましたが、今では戦う気力も起こらずに敵前逃亡をしてしまいます。こればかりは若い頭脳に勝つことはできません。

では高校化学はどんな学問なのでしょうか。今回の専攻が数学と物理でしたので化学の神髄を極めていません。実社会では医学という科学をずっとやって来た者として「科学」と「化学」は全く違うと肌で感じています。しかし「化学」いわゆる「ばけがく」は物理よりもはるかに実社会の身の回りに関係することが多く生きていく上で欠くことのできない学問です。誤解を恐れずに言えば、物理は宇宙から見た普遍性を論理的に考え、化学は地球上で生きていく上で役に立つ理論を構築して生物を含む有機質と無機質な静物の現象を捉える学問です。そして理科と言う普遍的な地球の上の社会でより良く生きるために数学と言う学問が存在するのではないかと現時点では自分の中で解釈しています。

では最終的に自分が得意でもあり好きな学問でもある数学とは一体なんなのかという課題に入りましょう。数学は理科の理論を計算などで証明するための手段ですが、同時に我々のレベルでは実社会で与えられた問題や推論を論理的に進めるための思考過程を学ぶための学問になります。数学に対して勘違いをしてほしくないことは、計算以外は役に立たないのではなく、対面した問題をいかに処理していくかという論理的思考を鍛える学問であって実社会で生きていく上で必要な学問です。そしてその後に国語や英語などの語学が続いて人と人との繋がりやコミュニケーションを学ばなければなりません。社会は極論すれば人類の過ちをしっかりと検証する学問でしょうか。受験科目には理系と文系が分かれていますが、このような大きな見地から見ればそのような区別が子供の将来に本当に必要なのか疑問を感じています。

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上京は2年半ぶり

最後に東京に行ったのはいつか忘れてしまいました。過去の記憶を辿っていくと確か最後は安倍元総理が学校を休校にして緊急事態宣言を発出する直前の3月でした。その頃から日本や世界の状況は大きく変わりました。2年半経過した現在でも新型コロナ騒動は終息していませんが、その間にワクチンを接種したり薬が使用できるようになったりしたおかげで以前ほど新型コロナに対するアレルギーは減少してきました。そして何よりも大きな変化は個人個人の新型コロナに対しての意識が変化してきたことです。以前ほどコロナに感染してもあまり恐れなくなり、2年以上も自粛を重ねてきた経験でしっかりと感染対策をとれば飲み会や旅行も可能となってきています。あとは各個人の考え方の違いでまだ自粛を続けている人もいますし、もう普通通りに外出している人も結構います。個人的には家内とたまに外食には出ますが、飲みにはほとんど行きません。また飲み会が絡んだ会合もまだ周囲には全然ありませんし、出ようとも思いません。個人的にもこの2年でかなり意識が変わり以前と同じように戻ることはもうないのではないかと思います。

しかしいつまでも外出しないわけにもいきませんので、政府も入国管理を緩和した折に所用で東京に2年半ぶりに行くことにしました。久しぶりに乗車した新幹線は8割方埋まっていました。やはり皆考えることは同じようです。しかし2年も乗っていないと車窓から見る景色が新鮮です。パソコンに向かって仕事やこのブログを書きながらもウキウキした気分での4時間の旅です。家内は子供たちの部屋掃除のため前日に上京しています。私は土曜の午前に仕事を終えてから出発して夜に皆で合流となります。今回、次男は予備校生のため自宅で留守番となり全員集合とはなりませんでしたが、長男のアルバイト先の居酒屋を予約して集合となりました。事前に地元の東洋美人を一升瓶で購入してお土産に持参しました。東京では獺祭よりも東洋美人の方が人気があります。長男も今日ばかりはバイトではなくお客さんとして飲みましたが、お店が忙しくなると自分たちの飲み物や簡単な食べ物は自分で奥まで調達してきます。その姿を見るにつけ以前と比較すれば本当に大人になったものだと年月の経過を感じます。道理で自分の髪の白髪が増えたのも納得いきます。束の間の楽しいひと時で、やはり家族の団欒は良いものです。その夜はドーミインに宿泊して翌日は早朝から私は所用でチェックアウトです。家内と長女も一緒に宿泊しましたが、翌日は別行動です。

所用では久しぶりに会う旧知のDrともこの2年間の新型コロナの対応や医療体制など話したいことは山積みです。山口の片田舎にいるとついつい世の中の考え方からどうしても遠ざかってしまいます。別に東京が凄いのでは決してありませんが、人が多いだけあっていろいろなものの見方や考え方に接することができます。この2年間はそのような機会に接することができませんでしたので、今回は貴重な上京となりました。夕方に家内と東京駅で待ち合わせて東京を後にしました。長女と長男の帰省はお盆でまだまだ先です。

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