知床遊覧船

連休前の華やかな気持ちがこの遊覧船の事故で一変しました。その後も行方不明者の捜索が続いていますが、まだ全員が見つかっていません。まずは亡くなられた犠牲者そしてご遺族にお悔やみを申し上げます。今回なぜこの話題を持ち出したかというと2年前のお盆に私達もこの知床遊覧船に実際に乗って知床岬を3時間かけて往復しましたので決して他人事には思えないのです。我々が乗船した夏の日の海は穏やかな凪でした。報道によれば2年前には現在の社長に交代していましたが、まだ当時のベテランの船長やスタッフが働かれていて辞める前だったようです。当時の実際に利用した一観光客としてはまさかこのような事故が起こるとはという思いしかありません。5月下旬に飽和潜水という特殊な技術を使用して探索をされましたが、新たな手掛かりはみつかりませんでした。少しでも早く行方不明者がご家族の元に帰れますように願っています。

当時の乗船した船は今回沈没した船よりは一回り大きく屋根の上に展望デッキがありそこに20人以上の方が座れるシートもありました。そしてライフジャケットもつけて船上から知床の自然を満喫しましたが、「仮に同じ状況になっていたら自分はどのような行動をとっただろう?」と自然と考えてしまうのです。夏の暑い中で海も凪ですので、もしそのような遭難状況に陥ったとしても岸からはほんの数百メートルの位置を航行していましたので泳ぎに達者な人はどうにかライフジャケットも身に着けていましたので海岸まで泳ぎ着けたかもしれません。一方で泳げない方や高齢者はそのような状況でもかなり困難な状況に陥ったと思います。しかし今回の連休前の海水温は5度前後で波もかなり高い状況ならば我々も無事とはいきません。そんな事を考えると他人事でなくなり気もそぞろになって心がわさわさしてくるのです。またスキューバダイビングの経験からも水面上に漂っている時に波を被って思いがけずに海水を飲んでしまうと泳ぎに達者であってもパニックになってしまいます。少しでも顔が水中に沈んでしまえば必死でもがいてもなかなかリカバリーできません。自然に逆らえば人間なんてちっぽけなものなのです。

報道では行政当局の認可の不備や地元の同業者の事故後の聞き取り調査で会社のずさんな経営や判断そして対応が指摘されています。いつもそうなのですが、必ず事故が起こってから色々な不備やずさんさが一気に表に出てきます。我々の医療業界を含めてどの業界でも内心では「あれはやりすぎでしょう」と思うことは多々あります。しかし何も起こっていない以上は文句やケチもつけられません。ネットで予約する旅行者はその会社がずさんな管理であるかどうかなんて見抜けるわけもありません。行政当局も申請書からだけでは実態は見抜けないことも多いでしょう。結局は最後に利用者が犠牲を払って初めて事態がつまびらかにされより良い方向に向かっていくのが世の常のようです。もっと利用者も含めて国民皆がルールを厳格に受け入れて不自由な世の中になればこのような犠牲者は減るのかもしれませんが、それは対極であって皆が受け入れることは不可能でしょう。

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トップガン~36年の時を経て~

遥か遠い昔の1986年、大学生の私はたしか新宿のピカデリーという映画館で学校帰りの夜にトップガンを一人で観ました。そしてトップガンを見終えた時の記憶は今でも鮮明に残っています。ストーリーは単純明快で、大空を駆け抜ける戦闘機のアクションシーンは鮮烈でした。それ以降ずっと続編が出ることを信じて30年の歳をとってしまったというオールドファンも多いのではないかと思います。トム・クルーズの作品はミッション・インポシブルなど数多くのヒット作が存在しますが、彼をトップスターへ押し上げた階段の原点はトップガンだと思います。現在のネットの仮想空間では世界中を簡単に行き来でき、テレビ媒体などは以前と比較すればかなり様変わりしました。しかしネット媒体で映像がいくら手軽に入手できるようになった現在でも映画館で鑑賞する映画自体が廃れることはありません。寧ろネット中心のデジタル中心の世の中だからこそたまにはノスタルジックなアナログの世界に戻りたくなります。あの大画面と大音量で視覚と聴覚に突き刺さるような刺激を堪能できるほんの数時間は、現実から心は離れて自由に大空を飛び回ることができます。昔、かの有名な映画コメンテーターが「映画って本当にいいもんですね」というフレーズをついつい思い出してしまいます。

トップガン公開から10年後の1996年にアメリカの学会で発表する機会があり、トップガンの聖地であるサンディエゴに滞在しました。ミラマー基地などのロケ地を見て回りたかったのですが時間が取れませんでしたので、映画の最後の有名な酒場のジュークボックスのシーンを撮影したカンザスシティレストランを見学して本物を見た瞬間は鳥肌が立ちました。そこにはトップガンの名シーンの写真なども貼ってあり楽しいひと時を過ごして自分のお土産にトップガンキャップを購入しました。その頃よりいつになれば続編が出るのかを楽しみにして更に25年が経過します。そしてついに2020年5月にトップガン・マーヴェリックが公開予定でしたが、新型コロナの影響で更に2年先送りになりました。そしてやっとの思いで36年の時を経て映画館にたどり着きました。そんな思い入れの中で、公開初日は所用で行けずに3日目の日曜の夜にムービックス周南に行きました。パンフレットも欲しかったのですが、早々に売り切れでした。日曜の夜ということもあって客席は3割程度で広々とした雰囲気で陶酔できました。

お馴染みのノスタルジックな映像からいきなりデンジャーゾーンが鳴り響き一気にボルテージが上がります。昔の映画を何度も繰り返して観ているオールドファンにとっては36年前に映画館で観た時の多くのシーンが重なり合います。また最新の映像技術を駆使しながらも体を張った戦闘機の操縦シーンは見応えがあります。私は映画のコアなファンではありませんが、トップガンだけは私にとって青春時代を共に駆け抜けた映画なのです。見終えた後も余韻が残って今と昔のまだら模様が続きます。新型コロナが終息したら再び聖地へ巡礼の旅に出るのも悪くはないなと思いながらもなかなか眠りにつけませんでした。

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少しは馴染んできた予備校生活

次男が広島の予備校に通い始めてから早2ヶ月が経過しようとしています。毎朝8時に自宅を自転車で出発して在来線と新幹線に乗り継ぎ最短で65分で予備校に到着します。なぜわかるかと言うと最近はどこの予備校も入館と退館時に自分の学生IDをかざすと即座にその情報がネット経由で自らのPCに送られてきます。そのため自分が仕事中でも「何時何分に入館しました」とメールを見て「無事に到着したのだ」と分かる仕組みになっているのです。ひと昔前と比べれば便利になったものです。また授業を終えた後も自習室に残って全て予備校で勉強を終わらせて帰宅しますので、帰宅時間は毎夜10時を過ぎ、帰宅後は食事と入浴とほんの1時間程度の自由時間でネットなど楽しんでいます。昨年の今頃と比べたら同じ受験生でも雲泥の差です。学校では授業もまだ受験範囲さえ終了していませんでしたし、受験に関係ない授業も受けなければなりませんでした。そして定期試験や模試も受けていましたので、余裕なんてあるはずもありません。一方で今年は全て授業が一応終了した状況での浪人生活への突入ですので現役生に比べれば有利に決まっています。しかしそれも夏頃までで秋になるとグンと現役生が伸びてきますので夏までにできるだけ頭の皴を伸ばしておかなければなりません。そして受験の天王山である夏まであと1ヶ月といった頃が現在の6 月なのです。第1回目の模試の結果も出ましたが、相変わらずで「本当に大丈夫か?」という不安しかありません。

先日、夏期講習についてのお知らせがありました。通常なら全て込みの値段で1年分の予備校の授業料を払ったつもりでしたが、相手もしたたかで別途追加料金で「弱点補強」とか「実力強化」など多彩な文句で誘惑してきます。子供も初めてなら親も初めてです。上の二人も予備校に行きましたが、行った予備校が次男と異なり割高でしたが、全て込みの予備校でしたので、途中でお金について悩むことはありませんでした。そして巧みな言葉に踊らされてはいけないと思いながらも、結局は親バカで「一浪で終わりにするならここはケチってはいけない」と予備校側の魂胆に乗ってしまいます。7月中旬から8月下旬までの2ヶ月弱で一気に追い込みをかけなければなりません。また夏期講習前に三者面談もあり更に親子ともども精神的に追い込まれていきます。

まだ最終的には決めていませんが、次男の場合は昨年同様に9月下旬から他の受験生とは異なり推薦入試が始まります。そして11月には本試験もありますので、予備校の夏期講習や9月から12月までの授業にはなかなか馴染むことができません。そのためにこの夏休みの天王山をいかにして乗り切るかがとても重要になってくるのです。昨年の失敗を教訓にして今年はいかにすべきかをあらかた決めているのですが、それが正しいかどうかは合格通知でしか証明できません。そのためにもこの数ヶ月が特に今年の受験には非常に大切な時期になります。受験なんて過ぎ去れば良き経験になりますが、全ての受験生が思い通りにはなりませんのでやはり辛いものです。

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勝負服

先日、洋服の青山に家内と次男の3人で行きました。次男の今年度入試面接用スーツ購入が主な目的です。昨年の現役時の面接は学生服で問題なかったのですが、浪人になると流石に学生服を着ると滑稽でしょう。しかし普段着で面接を受けるわけにもいきません。そうなると必然的にリクルートスーツの登場になります。そのための勝負服がこの秋に必要になりますが、春に購入しておかないと秋には間に合いません。

普通のサラリーマンならスーツとネクタイは当然でそれが勝負服になります。ところが医師はスーツにネクタイはどこかのお偉い教授や病院でも役職のある医師に限られ、通常の機動部隊である若手はポロシャツに白衣を着ている医師も多いのです。大学病院や市中病院に在籍している時は御多分に漏れず私もその一人でした。教授回診でも若手医師の作業着は変わりませんし、上司も部下の見た目に関しては無頓着な人が多いのです。またポロシャツに白衣を着ずにベンケーシー型の白衣を着る医師や最初から手術衣を着ている者も結構います。それだけ医療業界はスタイルにこだわる伝統はなく腕と頭の勝負ですので周囲は見た目をあまり気にしません。しかしそんな普段着にこだわりのない医師もなぜか学会に出席する時だけはスーツとネクタイと相場が決まっているのです。個人的にはしょうもない慣習としか思っていませんが、それでも紳士服業界を応援していることに間違いはありません。初対面で知らない医師のスーツとネクタイを見てもそれなりに似合っているように見えるのですが、普段からよく知っている同僚が学会で発表する時にスーツとネクタイをしていても普段を知っているので、その姿は借りてきた猫のようで全くと言っていいほど似合っていません。首から下はまともなのに髪は寝ぐせのままで、当直明けのその足で学会に来たのかは知りませんが、髭ボウボウの医師も少なからず目にします。一方で営業などの職種の方は見た目で決まると言っても過言ではありません。勿論、見た目の後の話題や専門知識も必要ですが、最初に好印象を勝ち取るための身だしなみは医師と異なりとても重要です。第一印象で相手に好感を持たせるかどうかでその後の展開が大きく変わります。特に飛び込み営業などではスーツとネクタイでさえも昨今の詐欺まがいの勧誘が多い時代では信用されませんが、スーツを着ていなければ論外で門前払いのケースがほとんどでしょう。相手を信用させ自分を有利に導くためには勝負服が必要なのです。

40年前の昔々、大学の入学試験の面接で私は現役のため学生服を着て勝負しました。周囲の浪人生はほとんどがスーツとネクタイだったことを今でもよく覚えています。しかし中にはTシャツにジーパンという強者もいました。その方が同級生になったのかどうかは当時の記憶として定かではないのですが、この歳になって世間のしくみが少しわかってくるとそのようなラフな受験生でも自分が面接官ならマイナスをつけないのではないかと思います。やはり人は見た目ではありません。しかし次男の入試面接ではリクルートスーツが勝負服になります。歳をとるにつれて本音と建前をうまく使い分けるようになります。

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コロナで変わった学会事情

医師が属する学会は数多く存在します。例えば私の場合は内科医で専門が循環器ですので内科学会と循環器学会に属していますが所属数は少ない方です。多い場合は更に複数の学会に属している医師も少なくありません。しかし学会が増えれば増える程悩みの種も増えてきます。お金さえ払えば学会に入会するのは簡単なのですが、専門医など保持する場合はその更新のためにその学会に出席して最新の医学知識を学び単位を取らなければなりません。その単位が取れなければ自動的に専門医の資格も消失します。別に専門医がなくても医者はできますので「そんなの関係ねえ」という強者もいますが、普通の小心者の医師はぶつくさ文句を言いながらも学会に出席して単位をとり5年に1度の専門医資格の更新をしているのが現状です。一般的に5年のうち2回は年1回の全国学会に出席して、更に年に1回程度は地方学会に出席すれば単位取得ができます。しかし全国学会はほとんど東京を中心とした大都市で順番に回していますので5年のうちに1回でも博多に全国学会が来ればラッキーです。地方会は広島市や岡山市など県庁所在地が多く新幹線の停車駅でもありますのでどうにかなります。しかし新幹線がない出雲に在住していた頃は広島に出るのも一仕事でした。一方で勤務医の頃は日々の仕事が忙しく当時はポケベルを持って日夜目に見えない鎖に繋がれていましたので、学会は唯一ポケベルから解放される息抜きの時間でもありました。更に自分の住んでいる町とは異なる町に小旅行をしてその地元の美味しい食べ物や地酒を飲み、大学時代の旧友や現在の同僚とポケベルを気にせずに羽目を外すことのできる唯一の心休まる時間でもあったわけです。

ところが新型コロナが流行すると学会は中止され、その後は開催されてもリモートに変わり当地に行くことは皆無となりました。リモートの利点は全国津々浦々どこにでも画面上で参加できますので専門医の単位取得は各段に楽になりました。毎日の診察しながら仕事中でもネットで学会にアクセスさえしておけば仕事の合間に聴講でき同時に単位も取れます。そして何よりも大きなメリットは交通費や宿泊費がかからないことです。通常1泊2日で上京すれば10万円近くはかかります。しかしネットなら2万円から3万円の参加費のみで済んでしまいます。道理で新型コロナが流行ったら旅行観光業界に大ダメージを与えたというのも頷けます。年数回の学会に参加すれば30万円くらいは軽く吹っ飛んでしまいますので、金銭的には得になります。一方で地元の目に見えない鎖を切ることはできなくなりリラクゼーションタイムはなくなります。現在はスマホで世界中とすぐに繋がることができますが、一方でいつも呼び出し音という鎖に繋がれているのも事実です。昔電話の横で一晩中待機していた時と同じなのです。その緊張感を一瞬でも開放することが学会参加の出張でもあったわけです。お金をとるか?時間をとるか?はたまたリラクゼーションをとるか?は個人によって意見は異なりますが、私個人としてはリラクゼーションを取りたいと思います。しかし新型コロナが終息してももう元に戻ることはないでしょう。

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