消費税10%へのアップの先送りに衆議院解散は必要か?

ほんの2週間前までは解散なんて新聞でもテレビでも全く話題にすらでてきませんでしたが、いつの間にか解散風が吹き荒れて総理は衆議院を解散しました。これはなぜでしょうか?今回の解散のもともとの発端は以前の民主党政権のときの民自公の3党合意にまで遡り、その当時の法案で消費税を上げると決めたのにその約束を反故にするのだから総理は国民に信を問うとの大義名分だそうです。しかしその法案には景気条項という項目があり一連の景気あがれば消費税アップすると書いてあるわけです。逆にいえばそれをクリアできなければ法律通りに廃案にすればいいだけです。集団的自衛権のときは憲法や法律の文言をここまで読まなくてもいいのにと国民は思っているのに官僚と政治家は読み替えてわざわざ解釈してくれます。それこそ文字通りに選挙や国民投票をして文言を書きかえればいいのにと私は思うのですが、間違っているでしょうか?今回は消費税アップの中止のために解散して国民に信を問うと言っているのです。解散せずに今の国会でやることは山ほどあるのに「わけわかんない」というのが率直な気持ちです。地方の立場からすれば「地方創生大臣を作っても結局は地方のことなんて何にも考えてないのか?」という意見や「あれだけ拉致被害に対してけじめをつけるといいながらもまた北朝鮮にうやむやにされたまま解散でいいのか?」という批判も当然あります。また小渕議員の政治団体から出たいつものお決まりパターンの「政治とカネの問題」これもどこかに吹っ飛んでいきました。

では解散して何が得?といえば方々の政治評論家がメディアで早ければ早いほど自民党と安倍政権に得なのだと言っています。まあ考えてみれば過去に二大政党を期待した時期もありました。しかしやはり経験の差でしょうか?お粗末な政治でした。子供を育てるように長い目で温かく見守らなければならないのはわかっているのですが、自分たちは今を必死で生きていかなければなりません。先日プロ野球のドラフト会議がありましたが、来年のAクラス入りを果たすためには即戦力の新人やもっと簡単にFA選手や外国人の助っ人を高額で入団させるのと一緒で目の前のことで精いっぱいです。今解散すれば与党の議席は減るけれども過半数は取れるでしょうし、あの過去の無意味なねじれ国会になることもないでしょうから、総理からすれば消費税の10%へのアップを先送りして自分が長期政権を維持して次の国会で集団的自衛権と地方創生と拉致問題を率先して指揮していくつもりなのでしょう。それはそれで政治的手法として間違っているとは思いませんが、やはり国民あっての政治で地元の選挙区民の支持あっての政治家です。今は待ったなしの景気対策や拉致被害者救出や震災後の対策や沖縄基地問題などを最優先することを国民は望んでいて、消費税アップの先送りでそれらの諸問題も先送りされたと思うのではないのでしょうか?12月の選挙結果で山は動かないと思いますが、野党は少しでも与党に対抗できるように意地をみせてほしいし、与党は野党に食われてねじれ国会を起こさずにサクサクと課題を処理して少しでも良い世の中になっていくことを願っています。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

受験もスポーツも努力する過程では一緒

「今年最も活躍した若しくは躍進した日本人スポーツ選手は誰でしょう?」と聞かれたらあなたなら誰と答えますか?私だったらテニスの錦織圭選手と答えます。勿論、その他の競技ではフィギアの羽生君と答える人もいるでしょう。しかし頂点に立つためには人一倍どころか人の何十倍もの努力が必要なことは言うまでもありません。いつからでしょうか?日本人が堂々と胸をはってプレッシャーに打ち勝っていく姿をテレビ画面で普通に見るようになってきたのは?昔だって金メダルをとるような強者もたくさんいましたが、何となく日本国民の大きな期待を背負って結果を残せなかった選手もたくさん見ました。それを個人の責任にするか、過度な国民の期待のプレッシャーに負けたとするかは議論が分かれるところですが、いずれにせよ悔しい思いのみが残ったことと思います。それをリベンジした選手は結果として成功ですが、がんばっても結果が残せなかった選手もたくさんいます。その場合は彼らを敗者と見なすのでしょうか?これも議論の分かれる所です。

私は高校からしか受験していませんが、受験だって競い合うという観点からいえばスポーツ選手の勝負の世界とそう変わらないと思っています。特に中学受験の経験のない私ですが、今の子供たちはその競い合いの厳しさをたかだか10歳くらいから経験するのです。受験と比較すればスポーツの世界では常に一番を目指さなければいけませんが、受験の場合その学校の指定人数枠内に入り込めばセーフなわけです。だから競争率がスポーツ選手と比べればはるかに広いのです。しかし自分にとっての頂点を目指す途中過程はスポーツだろうが勉強だろうが一緒で、毎日毎日自分と向き合いながら一歩一歩階段を上っていく感じでしょうか。夏の全国高校野球大会はその頂点を目指して毎日毎日の努力の積み重ねの結晶です。しかし同じ高校生の受験戦争だって野球に負けず劣らずの努力の賜物です。

ただその勝負の世界で一つだけ不合理なことがあるのです。それは中学受験をしたものにしかわからないのですが、高校受験以後は義務教育ではないので何回でも本人次第で勝負ができるのです。オリンピックの金メダルを取る確率は東大に入るよりはるかに困難で天文学的倍率になりますが、それでも4年後、8年後を見据えることもできるのです。しかし義務教育の中での中学受験という勝負は小学6年生いうたった1回の勝負ごとのみで、負けても来年のリベンジはないのです。だからこそ天文学的倍率ではなくてもその過程で親子のドラマが待ち受けているわけです。上の二人は中学受験をして自分の夢の希望枠という名の金メダルには1勝1敗でした。リベンジのない負けであっても子供はたくましいものです。少しの間は荒れたりする時期もありますが、新しい世界でまた伸び伸びと成長していきます。その間、親は何もすることができず無力感に悩まされてただただ見守るだけです。不安や焦りそして「なんでそうなったのか?」という疑問を持ち続けます。そして月日が経過してようやく暗いトンネルの向こうに一筋の光が見え始めたときに、初めて過去の勝負の本当の意味を本人と親の両方が理解しあえる日がやってくるのです。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

ネットで買い物

最近になってやっとネットで買い物ができるようになりました。以前はネットで一度クリックしてしまうと後戻りがきかなくなるというとてつもなく目に見えない恐怖からネットでお金をやりとりすることは自分の中では絶対的な禁忌でした。しかしどうしてもほしい本があってそれがネットのアマゾンのHPですぐに購入できることを知って、恐る恐るネット購入を試みたのが事の始まりです。それがうまくいくと次は羽田行のエアチケットやホテルの予約などもネットで自宅にいながら購入するようになりました。しかし原則購入代金は宅配業者に代引きかコンビニで支払いをしています。なぜならさすがにクレジットカードが絡めばもしもベネッセのようなことになったときに知らないうちにカード番号が外部に漏れるなんてことがないとはかぎりません。そういう理由から買い物に失敗してもあまり被害が少ない書籍を宅配業者による代引きで始めたのです。その際に代引きで300円程度かかりますが、ちょっと車で本屋に行ってもお目当ての本がなければまた別の本屋さんに行きますが、この田舎では多分お目当ての本はみつかりません。ネットのアマゾンで調べれば在庫があれば早ければ翌日には手元に届きます。自分の探す手間や時間を考えれば300円は田舎者にとっては安いと思います。唯一心配なのは手に取って内容を覗けないことです。だから最高でも数千円の書籍なら失敗しても「まあ、それくらいならいいか」で済みます。高価な品物で手に取ってみないと中身がわからないものはなかなかネット購入をする気にはなりません。

しかし現在自分が使っているPCはDELLのネット販売で購入したものです。昔なら絶対にしなかったのでしょうが、PCも昔と比べて高価な買い物ではなくなってきたということでしょう。しかもPCもこれだけ世の中に普及しているのでちょっとした安い時計やテレビを買う感覚に変化してきたために10万円程度の精密機器もネットで買えるようになったのだと思います。さすがにいくら普及したといっても車をネットで購入する勇気はまだありません。そのようにどんどん拡大解釈していき今では先にお話ししたような羽田行のエアチケットを予約して購入は近くのコンビニで支払うようになりました。すると当日に航空会社のカードを搭乗カウンターで「ピッ」とかざすだけで終わり。「なんて楽なのだろう!」と改めて文明の利器に感謝しています。そして羽田に降りてからもICOCAなるカードをモノレールからJRや地下鉄まで改札でかざすと切符を購入せずにフリーパスです。

今後更に買い物がネットで簡単にできることは地方に住んでいる者にとって非常に便利なことです。しかし手に取って肌触りなどの感覚を確かめるような衣類などはいくら返品可能であってもその面倒くささを考慮すればまだまだウインドウショッピングも必要でしょう。このようにほとんど全ての物をネットで購入でき宅配業者とコンビニの普及で翌日には欲しい品物が手元に来るようになった時代、これはまさしく人類の英知を結集したネット販売網の最高傑作であるといっても過言ではないと思います。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

インフルエンザ予防接種と肺炎球菌予防接種

この10月からインフルエンザ予防接種と肺炎球菌予防接種が解禁になりました。インフルエンザ予防接種は毎年この時期の医療機関での風物詩になっています。さすがに10月初旬に接種してくれと言われたら「まだ早いから11月にしたら」と答えてきましたが、今年は少し雲行きが異なります。その理由は今年から肺炎球菌予防接種が初めて一部公費負担で可能となったからです。インフルエンザはその年の流行を予測して作られるため毎年接種しなければなりません。しかし肺炎球菌ワクチンはあらかじめ複数種類の既に肺炎を起こしやすい細菌を対象に作っていますので、一度予防接種をしたらおよそ5年間は接種の必要がないのです。そしてテレビでも新聞でも大きな四角い西田敏行さんの顔がでんと登場して「接種しましょう」と呼びかけるものですからかなりのインパクトがあり10月から予約がかなり入っています。ドクターXで悪代官張りの帝都大学医学部教授をしていた西田さんと比べるととても朗らかな顔をされています。

そこで今回の肺炎球菌ワクチンですが、肺炎は高齢者に多い病気で現在でも高齢者の死因の上位を占めています。それではどういうケースで肺炎になりやすいかというと冬場のインフルエンザに罹患してその合併症として起こしやすいのです。というとはインフルエンザと肺炎球菌はセットで接種して効果を発揮するということです。夏でも肺炎になる人はいますが、肺炎になる確率は冬場の方が圧倒的に増えるわけです。そのため今回はインフルエンザ予防接種であろうが肺炎球菌予防接種であろうがどちらでも接種希望の人は接種するタイミングも考えて早めに接種を開始した次第です。ただ一つだけ困ったことがあります。それは肺炎球菌予防接種の対象者は65歳以上全員ではありません。今年度の接種対象者は65歳、70歳、75歳、80歳、85歳というようにきりのいい年齢の方のみしか公費補助を受けることができないのです。それは一度に全員対象になるとワクチン不足や医療機関での混乱が予想されるからです。しかし言い換えると対象者以外は来年度以後にきりのいい年齢に到達するまで最長で4年間元気に肺炎にならないように頑張って生きなければ公費補助対象者にならないことを意味します。それが果たして公平なのかどうかは接種をする方から考えれば複雑な思いにかられます。だったら自費でも接種しようかとも考えるのは当然のことですが、自費で接種すれば1万円程度かかるのも事実なのです。「健康はお金に換えられない」と人はよく言います。しかしインフルエンザ予防接種と違って高価なワクチンですのでやはり先立つものも必要になってきます。現在の高齢者はお金持ちが多いから本当に早く接種したい人は自腹を切ってでも接種するだろうと国は考えているのかもしれません。これと似た例では今年度4月以後70歳の誕生日を迎える患者さんの自己負担は2割に上がりました。これも制度の転換期の弊害でもあるわけです。ルールが変わるときは不公平感が出るのはいたしかたないということなのでしょうか。いずれにせよ公平感のある制度をこれからもしっかりと国は作ってほしいと思います。

カテゴリー: 医療のこと, 診療日誌 | タグ: | コメントする

バブリーTOKYOを見て思うこと

久しぶりに東京出張に行ってきました。以前は帰りの時間の関係で新幹線の往復がほとんどでしたが、なにせ4時間の乗車はとても長く感じられます。岡山を通り過ぎる頃から腰の痛みがピークに達します。そこで最近は岩国空港を利用しています。ちょうど土曜の午後に仕事を終えてからよいタイミングで東京便があります。山口宇部空港の便数は多いものの午後から夕方までの東京便が手薄になっているのでなかなか利用できないのです。たかが2時間と思われがちですが、されど2時間です。羽田空港に降り立ちダッシュでモノレールに飛び乗って都心に午後5時台に到着するのと7時台とでは年に数回しか上京できないおのぼりさんにとっては買い物や情報収集などすることいっぱいで、新聞に掲載される総理動向のような分刻みのスケジュールを組んでいるために雲泥の差になるのです。最近山口宇部空港にスカイマークが参入しましたが、便数はともかくとして今後は2020東京に向けて都心への乗り継ぎの利便や成田への乗り継ぎが重要になってくるでしょう。

今回も東京に降り立ってまず思うことは本日のお題でもある「バブリーTOKYO」です。リニア新幹線は2020には間に合わないものの試乗運転が開始され、その表玄関となる品川駅の再開発、そして六本木ヒルズの兄弟分の虎の門ヒルズの完成。羽田と都心や成田を結ぶ鉄道網の高速化など目白押しです。アベノミクスに後押しされた公共事業やマンション建設のラッシュなどによる東京の地価の高沸はまさに20年前の再現になるのではないかといくら地方の田舎者でも心配したくなります。東京一極集中一人勝ちで地方創生とは叫ばれているものの地方は総負けの感さえ漂います。都心へと向かうモノレールに乗って車窓を眺めながらそんなことを考えていました。地価は東京など大都市圏で顕著に上昇していますし、株価(私は個人的に賭け事や株はしませんが)も昨年より上昇しています。これは国際的にみれば日本の評価が高まっている傾向でよいことです。しかし何事にも限度というものがありそれを越して儲けようとするものがいるからバブリーになるわけです。それについて皆さんは過去の反省を思い出してほしいと思います。「浮けば沈み、上がれば下がる」これがこの世の真理です。

一方で地方はというといつもの愚痴になってしまいますが、昨年の「あまちゃん」で地方にはそれぞれよいものがあるが見慣れているためにその良さに麻痺しているという旨のことを書きました。しかし「かすみを食べては生きることができるのは仙人だけ」と相場は決まっています。我々凡人では生きていけません。その素晴らしく東京には絶対に存在せずに食べても決して腹一杯にならない「かすみ」をいかにして地方が本物の食べ物に変えていくことができるか、それがこれからの地方の成長の行方を左右するのではないかと思います。いくら東京の真似をしても所詮は二番煎じなのです。まずは我々自らが変わっていかなければなりません。今回は飛行機からきれいな富士山をみることができました。そのツーショットを掲載しておきます。

富士山富士山

カテゴリー: 日常のこと, 診療日誌 | コメントする