川棚温泉へ束の間の休息 ~その2~

そして明日で娘の1週間のリフレッシュ休暇も終了です。帰ってきて1週間なんてあっという間です。毎日ペースを狂わせないように自宅でも朝夜と勉強していますが、ほんのささやかな息抜きを兼ねて川棚温泉に1泊して娘の労をねぎらいました。皆で一緒に行くことができればよかったのですが、長男はニュージーランドで不在です。なかなか皆で一緒に行動することができなくなったのが現実です。それでも両親を連れて車で6人の大移動となりました。山口に住んでいますが、個人的にはまだ瓦そばを食べたことがありませんし下関方面に宿泊したことがないので車で2~3時間程度で行ける所を選びました。私が午前の仕事を終えて一息ついてからの出発です。夕刻に到着しましたが、夕日は望めませんでした。しかし遥か彼方にきれいな夕焼けは見えました。今回は観光など全く考えていませんでしたが、明日に海響館くらいは訪れようかなと思っています。今週はただひたすら今という時間を大切にしたいだけです。それを私たちも祖父母もよく理解しています。到着後にゆっくりと湯につかりそれから早めの夕食で、本当なら娘は夜の義務学習があるのですが、この2時間だけは勘弁してもらってその分昼に済ませて、夜9時から2時間は勉強です。これも夢を勝ち取るためのたかが2時間、されど2時間です。2時間に笑うものは2時間に泣くという気持ちで勉強させました。

今回は川棚グランドホテルに泊まりましたが、今までとは少し違った意味でゆったりとした時間が流れていきます。次男はいつものようにどこでも適応できる雑草のような性格ですが、2週間後に迫った運動会の練習で少しバテ気味です。今回は組体操を5、6年の合同でしなければならなくて連日学校でも特訓です。私といえばいつもならアルコールを飲んで気分よくぐっすりと寝入って、翌朝になって「全くもう」って言われて周囲からすればいつものことと冷たい視線を浴びてそれを軽く受け流すのが常でした。しかし今回だけは違いまして疲れとアルコールが体中に周っても娘との時間が大切だったのでしょうか?夜遅くまで目がさえていました。娘の勉強を横目に見ながら次男とトランプで遊んだりテレビを見たりしました。翌朝は朝一番に露天風呂でゆっくりとしました。もう今日は娘が小倉に帰寮しなければならない出発の日です。出発までまだ5-6時間あります。予定通り海響館に行きました。別に今は魚を見たいという気分ではないのですが、この大切な時間をただ茫然と過ごすのはもったいなく何かしらしたいけど何をしていいかわからないという感じでしょうか。スイスイとガラス越しに泳ぐ魚を見ていると娘と一緒にダイビングを100回以上した記憶が昨日のように蘇ります。来年の夏こそは長男と娘と3人でまた須佐の海に潜りたいと思います。それから一緒に昼食を済ませて娘の予備校寮まで送っていきました。また約半年間の未来への夢の戦いに挑むための帰寮です。寮に入って行く後ろ姿を見るにつけ親としては頼もしくもあり寂しくもありますが、心の中で「がんばれ!」とおもいっきり叫びました。

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半年ぶりの娘との再会 ~その1~

4月1日に予備校の寮に入ってから早5か月が経過しました。今週半年ぶりに我が家へ帰ってきました。リフレッシュ休暇で1週間ほど我が家にいます。つい半年前までは我が家にいるのが当たり前だったのが今はいないのが当たり前です。娘のいなかった期間それまで使用していた机の上には本や参考書が山積みになっています。子供が旅立って行ってもなかなか親だけで整理整頓はしづらいものです。それは面倒くさいこともありますが、それ以上に昔の想い出をそっとそのままにしておきたいという気持ちも多分にあります。埃をかぶっていますが、そのうっすらと積もった埃の厚みが家で待ちわびていた家族の気持ちと重なり合います。今まで外に出たことのない娘が大学入試合格のために寮で缶詰になってがんばっています。最初は本当に大丈夫?と思っていましたが、少しは成長したのでしょうか?まだ定かではありません。学力も少しは伸びたのでしょうか?これもまだ不明です。帰ってきたその日のこと。私は仕事を終えて「もう帰っているかな?」と期待を膨らませながら娘の部屋に向かいます。しかしその前にダダダと階段を下ってくる音。目の前にはその当人がいます。「お帰り」と言おうと思っていたのがつい「どこ行くの?」という半年前のいつもと変わりない会話。一気にタイムスリップ!旅立つ前と変わらない時間が流れてゆきます。

帰ってきた日は少しゆっくりとしましたが、翌日からは寮と同じように朝きっちりと起床して午前3時間の自宅学習。午後はフリーですが、夜は4時間の自宅学習で計7時間の勉強時間を確保しなければなりません。寮ではテレビやケータイはもっての外で1日13時間の授業+寮学習と7時間の睡眠時間をとれば全くフリーな時間なんてありません。日曜の午後だけが唯一の息抜きのできる自由時間です。それを約半年間続けてきてその生活習慣が身についているため今回の1週間でその習慣をくずしたくないのでしょう。予備校からは毎日の義務学習がきっちりできたかを葉書で送らなければいけないしくみになっています。19歳にもなってそこまで?という意見もあると思います。しかし逆に言えばそこまでしなければ自分に勝てない少子化時代の子供たちと言い換えることもできますし、そこまでしなければ自分の夢を達成できないのです。昔から「苦労は買ってでもせよ」という言葉は現代では死語になっているのかもしれませんが、人生80年のうちそれくらい死にもの狂いになってやるのも悪くはないと経験者である私は思っています。私も高校時代には「大学に行ったら勉強はあまりしないで遊ぶ」というわけもわからない目標を掲げて1日12時間は勉強していた記憶があります。ですから大学受験の苦しさを誰よりも一番身に染みて感じています。医者になってからの徹夜も苦しかったけど、大学に合格しなければというプレッシャーも相当なものでした。しかし今になって思えば「灰色のハイスクール」も決して悪い経験ではないと確信しています。だって自分の夢のために自分の24時間全てを使えるなんて大人になってからでは皆無でしょ?

今年も患者さんがサギソウを持ってきてくださいました。来春には羽ばたいてほしいものです。

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面と向かっては話さない息子からのメール

長男が旅立って早1ヶ月が過ぎもう少しで2か月になろうとしています。最初はいろいろと心配しながらも送り出すときもそんなにしゃべらなかった息子ですが、ニュージーからはちょくちょくメールが来ます。昔なら国際郵便でAir Mailと赤文字で書いて赤線を引っぱっていました。とても懐かしく思います。このメールという文明の利器は本当に手紙という手段を安く速く便利に変えてくれました。ケータイ電話と並んで素晴らしい発明だと思っています。その反面、日常のコミュニケーションがとれなくなる若者が続出しています。いい面もあれば悪い面もありますが、今回はいい面を垣間見ています。家にいるときは面倒くさがってしゃべらなかった長男ですが、この年頃にはよくあることでしょう。しかし離れてしまって顔を見なくなった途端にいろいろとメールが届きます。勿論、かみさんが送ったメールの返信が主なのですが、こんなに会話を日本でしたっけ?というくらいの文の量です。なかには「うまかっちゃん」なる即席麺を送れとか現地で調達した方が早いのではという内容もありますが、当地の即席麺は値段の割に美味しくないのでしょうか?国際郵便で送れば送るだけで6000円近くかかってしまいます。何かのついででないと送ることもままなりません。それ以外にもいろいろと絵文字を駆使して自分の感情を表現しながらのメールです。

このようなメールの文章を読むにつけ最初は本当に大丈夫なのか?という心配ばかりだったのが、何となく落ち着き安心して遥か彼方の彼を見ることができるようになってきました。それはそのメールの内容でわかります。最初は物品や小遣いの要求など必要な事務的なことばかりでしたが、日が経つにつれメールの内容が今の留学先で置かれている状況などの報告に少しずつ変化してきました。「もう少しリスニングができなければTOEICも全然話にならない」とか「そろそろ環境にもなれてきたので勉強にも本腰を入れようと思う」とか何をがんばりたいのかなどをメールでしゃべり始めました。日本では「ちょっとは勉強しろよ」が口癖だった親からすれば異国の地では幼い人間をも少しずつでも大人に成長させてくれているのだという証が見て取れるのです。出発する日の朝に面と向かって座らせて「この半年はお前にとってこれから将来何をやりたいかだけでも探してこい」と言って背中を押した私です。そんなに簡単に結果が出ることではありませんが、少しずつでも彼にとっていい方向に進んでくれれば「かわいい子には旅をさせよ」という諺を直に立証できそうです。しかし現時点では異国の地という自分とはかけ離れた環境でそのように感じているのであって、また日本に戻ってきたら同じような日本の環境に逆戻りするわけです。そうすると「あの時は一体なんだったのだろう?」と浦島太郎状態になってしまうかもしれません。そしてあの竜宮城での思い出の日々と日本での現実の日々とのギャップの戦いが自己の中で始まってしまうことも事実です。それを乗り越えて初めて本当に半年間留学してよかったと心から思える日がいずれやってくることを願わずにはいられません。

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石の上にも3年

最近、「石の上にも3年」という出来事をよく体感できることがありました。自分の経験ではなく友人からの愚痴を聞いたときに石の上に乗っている友人を想像して相手には悪いのですがついつい笑ってしまいました。20年以上前の研修医の頃には「石」ではなく「医師の上にも3年」と思って頑張ってきました。それは医師になっても最初の頃は国家資格を持っているだけで何の役にも立たない石(医師)ころのようなもので一人前になるには3年は我慢して石にしがみついてでも技術を習得しなければと当時思っていたわけです。

最近の出来事、それは50歳近くにもなって転職した友人。新しい職場では自分より年下の上司に嫌味を言われます。そして自分より更に年上で目の上にたんこぶのある小太り爺さんの上司からも拍車をかけて攻撃(口撃)をされます。「そんなこと、転職する前からわかって転職したのでしょ!」と私の冷たいダメ押しです。「そりゃそうだけど・・・・」とそれ以上の返答がありません。その時に「石の上にも3年って以前言ったのを覚えてる?」とたたみかけます。それは老婆心ながら半年前に私自身が言った言葉です。それはどういうことか解説しましょう。世の中には自分で考えて動ける思慮分別ある人間と全く180度正反対の動けない人間もいます。そして不思議とできた人間は害がなく、できない人間ほど害が多いようです。そのようなできない人間は頭の中が化石と化してガチガチの石頭で全くと言っていいほど融通がききません。更に川の石ころのように水が流れないと動きません。つまり自分の意思(石)では動かないと言うよりは動けないのです。そのような人間ほど文句ばっかり言うのです。そんな環境にいると昔流行った3年B組金八先生のあの有名な「くさったミカン」覚えていますか?あれと一緒です。一緒にいるとまともなみかんまで腐らせてしまいます。それでもあなたが選んだ「未知なる道」です。「そんなときにはその石頭の人の上に君が乗って一休さんのように座して3年間はがんばりなさい」という意味で「石の上にも3年」という名言(迷言)があるのではないかと相手に話しました。するとその内容が妙に腑に落ちたのか?落ち込んだ相手にうけて「よし、頑張ってやる!」と笑って帰って行きました。でも「どうしてもダメなら逃げもあり」とも付け加えました。

やっぱり人間辛抱しないといけない時は必ずあります。無駄だと思っても逃げ出してはいけないことも多々あります。しかし「どうしてもダメ」と思った時は走って逃げてもいいのではないかと近頃よく思うのです。周囲から罵声を浴びせられ信用も失墜するかもしれませんが、自らの命を絶ついじめ自殺や理研の笹井先生の自殺は考えさせられました。走ってでも逃げてほしかった。逃げてほとぼりが冷めてまたひょっこりと現れるのもありではないかと最近50歳を過ぎてから思うのです。それを周囲が早く察知してあげることも大切ですが、日本の古くから続く武士道でこと切腹に関しては周囲が許容できる成熟した社会に進化していけば、一人でも尊い命が助かるのではないかと勝手に思っています。

「合掌」

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命の大切さ

先月長崎で悲惨な事件が起きました。「人を殺してみたかった」という動機自体が異常ですし、東京では「24時間以内に死ね」と義父に言われて中2が首つり。以前にも「死刑になりたかったから殺すのは誰でもよかった」など異常な発言も聞かれました。またあれだけ酒酔い運転はダメだと言われているのに「ちょっとなら」とか「誰も見てないならいいか?」というアホな考えで事故を起こして幼い命を奪っています。誰しも生まれた時にはそのご両親は「よくぞ、生まれてきた。ありがとう!」と感謝の念でいっぱいだったはず。しかし時が過ぎいろいろな出来事をくぐり抜けていくうちに感情が鈍くなってくるのでしょうか?肉体は誰もが悩まずにちゃんと成長していきますが、精神の成長はしっかりと親が教え込まなければいけない時代です。成人になってもニートも多い時代ですからどこまでが親の責任でそれ以上は子供の責任とすんなりとは線が引けませんが、いつまでたっても親は親です。「三つ子の魂百まで」と諺にもあるようにその両親がどのように子供に愛情を注いで育てたか、そして大人になるにあたって肉体的成長以外の人間としての生き方をしっかりと教えたかは親の責任だと思います。寝る子は育つではないけれどもほっといても立派な人間に育つなんてことは、悲しいかな、今の世の中にはあり得ないのではないかとふと思ってしまいます。何も悪くないのにウクライナの上空で撃墜された人々、これからという高校生がフェリーの沈没で失った尊い命、そのような出来事を目にすると他国の事件でも胸を痛めてしまいます。そして責任追及しようにもお互い相手が悪いなどと非難中傷合戦のウクライナ。パレスチナとイスラエルは停戦協定が2時間で反故。

やっぱり今の社会の非常識な思想はそのような世の中にしてきた我々と我々の両親の世代の責任だと私は思っています。30年前は私が青年で両親が今の私と同じ年代でした。その頃はその頃でいろいろな事件はありましたが、我々はその時代を必死で生き抜いてきたことには間違いありません。しかしそのとき30年後を考えていたかというとなかなかそこまでは考えていませんし歴史は繰り返されます。だから少なくとも現在の自分の子供たちには30年先を考えしっかりとした人生観をもって生きてほしいと願いながら子育てをしています。いつも思っていることですが、我々人間ほど身勝手な生き物はいません。なぜならそれは感情があるからだと思います。逆に感情がなければ動物と一緒で食うか食われるかの弱肉強食の世界のみでそれはそれでちゃんと生命の進化としては問題ないのです。それを突然変異でもって一部の生き物が感情を持つようになってしまったからこのようなことが起こるわけです。感情と理性を個々人がしっかりとコントロールできれば素晴らしい生き物にもなれるのですが。仮にSF映画ではありませんが、1年後に巨大隕石が地球にぶつかる確率が90%以上とか、地球外生命体(いわゆるUFO)が地球を征服するためにやってきたら、この青い地球に住む感情や理性をもっていざこざを起こしてきた生き物は一致団結してその人類の危機を乗り越えようとするのではないかと思うのです。

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