犬猫の処分から人間の身勝手さを垣間見る

環境省は、引き取り手がなく、年間約16万頭が殺処分されている犬や猫について、将来的にゼロにするための行動計画を発表した。遺棄防止や譲渡活動など先進的な対策を実施している自治体を今年度中にモデル地区に選定し、取り組みを全国に広げる。飼い主情報を登録したマイクロチップの装着義務化などについても検討する。計画を主導した同省の政務官は記者会見で、「今まで別々だった取り組みをつなげていきたい。2020年の東京五輪までに、動物先進国の人に対しても恥ずかしくないよう(なレベル)にしたい」と力を込めた。この記事は犬猫の処分についての6月3日の時事通信からの引用です。

そのことについて以前から思うこと。まずこのような犬猫の処分は人間の身勝手な振る舞いです。まず飼い主の責任が極めて重く、軽い気持ちで飼い始めて嫌になったらポイと捨ててしまう。ときにニュースで日本の湖にピラニアが住んでいたりワニが捕まってビックリすることもありますよね。最近のペットブームにも憂慮しています。また法律を犯してまでペットを密輸入したりします。ただ高く売れて儲かればいいという自己中心的な考え方で呆れてしまいます。例えば象牙がほしいからとアフリカに行って象を殺して象牙だけ取ってくる。言い始めればきりがありません。その末端に我々も犬猫で加担しているのです。我々は猛省しなければいけないでしょう。そしてその捨てられた犬猫の処分のために行政が人間の勝手なエゴに対して犬猫110番をしなければならない。他にもやらねばいけないことが山のようにあるのに苦情を言われてさぞ大変だろうと思います。

生き物は全て酸素を吸って水と栄養を摂取しなければ生きてゆけません。それは自然の摂理ですが、その栄養が食べ物で動物は食い食われて生存してゆくわけです。ですから人間は肉や魚を食べるわけです。しかしクジラやイルカはいけないとある団体は叫びます。また昔は原住民が人肉を食べた時代もあったと聞きます。人類が人間という枠でルールを作り(他の生き物からすれば勝手なルールと思われても仕方ありません)人肉やその他の自分たちが指定した肉以外は食べてはいけないと訴えます。しかし都合のよい部分は堂々と訴えますが、都合が悪くなると黙り込んでしまいます。

昔、日本は自分たちが勝手にルールを作って戦争に突き進み敗戦、そしてその反省から戦争放棄という素晴らしい憲法の下で平和を維持してきましたが、昔日本が占領した国は現在、力とエゴで海洋進出や領土拡張をしようとしています。つまり人間の中で民族間のエゴで動いていきます。結局は地球上で人類と言う生き物が一番賢く一番偉いと勘違いをして、また人間の中では民族間で「俺たちの方が偉いんだ」などと思い込んで突き進んでいく。そして人類は同じ過ちを懲りずにこれからも繰り返していく。「これが人類の性で歴史かなあ?その時自分はどうすればよいか?」私の現時点での答えはとても小さなことなのですが、犬猫を捨てないように一人一人が意識することです。それがやがては人間の身勝手なエゴで戦争をしないことに繋がっていくのではないのかなあ?自信はありませんが。

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ワールドカップと自己達成感

ワールドカップサッカーも開幕し予選リーグも終わってベスト16が出揃い最終コーナーの佳境に入ってきました。日本中が15日のコートジボワール戦を皮切りに20日のギリシャ戦、25日のコロンビア戦で盛り上がりました。ちょうど地球の裏側で熱戦が繰り広げられているため、観戦時間帯は深夜から早朝で仕事が始まる前の朝のニュースで結果がわかってしまいます。ヨーロッパ地域やアメリカの場合は時差の関係でほとんど深夜ですが、今回の地球の裏側からのライブ中継は早朝が多く視聴率は前回よりも上がるのではないでしょうか?それと今回はかなりの期待を持ってワールドカップに臨みましたが残念な結果に終わってしまいました。以前は出場すればそれでよしという90年代から約20年が経過して、選手も海外でどんどん活躍する時代になりました。やはり鎖国の中ではよい選手も育たないでしょうし、これからもどんどんグローバルな人的交流が必要でしょう。今回の侍JAPANの躍進は目を見張るものがありますが、世界に通用してましてや優勝を争うようになるにはまだまだ時間が必要なのかもしれません。今後の活躍に期待したいと思います。

ところでワールドカップやオリンピックは4年に一度の祭典でうるう年と同じです。この4年に一度というのがなかなかの曲者です。現役選手のピークはほんの10年くらいでしょうか?カズ選手のようにいまだに輝き続けている選手もいますが、肉体的、精神的なピークはもっても10年たらずでしょう。ピークに達するまでの選手として上昇気流の10年、そしてピークの10年、そして30代後半には引退という現実が待っています。とするとその中でちょうど4年に一度の祭典に自分のピークを持っていくのには日頃から自身の不断の努力もさることながら、幸運の女神も微笑んでくれないとその栄冠はつかめないのではないでしょうか?昔、カズ選手が最後の最後で代表から外れてしまいました。それは勝負の世界では仕方のない現実なのですが、その悔しさが現在まで彼を輝き続けさせている原動力になっているのではないかと勝手に想像しています。

夢なんて成就すれば終わりです。達成できないのが夢です。達成すれば燃え尽き症候群になるかもしれません。新たに火種を探さなければなりません。火種が見つかれば夢という炎を再び燃やすことができるかもしれません。そして最後に引退を決意した瞬間、それは別にワールドカップの代表に限りませんが、ほら今このさらさら日記を読んでいるあなたのことですよ!その燃やし続けた炎を自分で吹き消そうとした瞬間、私も含めて夢は達成できなくてもその過程が走馬灯のように脳裏に流れて「やっぱりこれでよかったんだ」と思えればその時に初めてその人の夢は達成できたのではないかと思うのです。現実社会では数字のノルマを達成し試験に合格して結果を残さなければ世間からは「夢は達成された」とは認めてもらえないかもしれません。しかし笑顔で自分に「よくがんばったねと自分を誉めてあげたい」というあの満面の笑顔での選手の会見がありますよね。あれです!

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ブログ4年目に突入!

今日のブログは第157話です。52x3=156ですから今回から4年目に突入です。毎週月曜の朝には更新するように心がけています。自分でもブログを始めてから「毎週の更新はちょっとしんどいかな?」と最初は不安でした。しかし毎日の更新は最初のうちは可能だけども必ず破綻は目に見えています。といって1ヶ月に1回だと嘘になって読者に見放されてしまうことも考えると2週間に1回か週1にしようと思いましたがそれなら週1でいけるだけいってやれ、エイ、ヤー!と決定しました。書く内容がそんなにあるのかと当初は不安で周囲からは「書くことがなくなってそのうち今日は何を食べたとか食べ物日記になってそのうち書かなくなり開店休業ブログになるよ」と言われました。そう言われると自分でも認めるストイックな性格です。意地でも週1で書き続けるという固い決心で始めた次第です。自分がブログを書き始めると周囲の反応が気になり自分のHPを見たり、他のHPのブログを見るようになりましたが、皆さん定期的にブログを長く書き続けるのは難しいようです。それもあって更に「意地の継続」に繋がっていったのです。

書き始めてみると意外にも日常で普通なら見向きもしなかった些細なことにも関心をもつようになりました。また社会情勢では「自分はこう思うけど皆さんならどう思い考え行動しますか?」といった風にこれから皆で考え行動していかなければならない話題を提供できる場にもなりました。その場合でも一方的な意見ではなく右があれば左があり、ある人はYES、でも別の人はNOという双方の意見を聞く耳も若干ですがもてるようになりました。自分の想い出や過去の出来事にも言及して今の便利な世の中が果たして本当に幸せなのかというテーマにも言及しているつもりです。そして50歳を過ぎそれでも未来への夢を語りながら、結局のところ「人間はいずれ死んでいくのだという人生の儚さと無常観」も感じるようになって、神様や仏様やキリスト様におすがりしたいという心のよりどころとなる宗教も人間には必要なのかなと思うようにもなりました。人間は一人では生きていけないことにあらためて気づかされたのです。

そして何よりもこのブログでの大きな収穫は自分自身の子供たちへの「未来への手紙」を堂々と残せることに気付いたことです。自分が毎日書き続けている石原10年日記には波があり食べ物日記になって手を抜くことも多々ありますが、このブログの場合は20年後に読み返してたとえセピア色になっていても当時の輝きだけは失わないように書いているつもりです。この「未来への手紙」はいつしか自分がこの世に生きていた証だよと言う風に思ってもらえればとっても嬉しいなと今から未来へ期待しています。これからも肩の力を抜いて色眼鏡ではなく自然なメガネを通してこの世の中を見渡せば「まだまだ捨てたものではない」と思う反面、「本当にこれでいいの?おかしいんじゃないの?」と思う世の中の出来事を真剣に考えて大いに語っていこうと思っています。そのように考えるとこれから書くブログのネタがどんどん泉のように溢れて湧いてきそうです。

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人生記念日

毎年忘れていますが、6月1日が近づくと思い出します。人生50年のうちの節目節目がこの6月1に集中しているのです。大学を卒業するまではこの記念日は私とは全く関係ないただの6月の初日でした。しかし社会人になるとそれが一変します。その後の自分の人生の節目でその日が何度も登場してくるのです。

以前の医師国家試験は4月の最初の週末にあり、合格発表が5月の中旬でした。ですからその間は医学士(医学部卒業しただけ)であり医師ではありません。国家試験に合格して厚労省の医籍に登録されないと医療行為は当然行えないのです。この医籍登録が6月の最初でした。ですから法律上医師としての認められた日が1988年6月1日なのです。それまでは働いていても医師ではなくお客さん扱いなのです。とはいっても決してお客さん扱いではなくぼろ雑巾扱いでしたが、法律上お客さん扱いという意味です。ですから我々の世代は6月1日が4月1日の新入社員の辞令交付日にあたるわけです。毎年この日から新しいスタートが始まるのです。「今年で医師になって26年目です」という風に経験年数を換算するわけです。そのため昔は転勤移動もこの時期に集中していました。なぜ過去形かといいますとこの20年で医療制度改革があり、医師国家試験も早まり4月1日には普通の社会人と同じように医籍登録され皆同じように入社式が行えるように変わったのです。現在の医師の転勤移動はほぼ4月に集中していて6月はありません。ですから4月換算か6月換算かの違いでその医師の年代がわかるわけです。そういった理由からその後の自分の社会の中での人生の節目も6月1日を中心に動いていったのです。

次の大きな節目は医局をやめて家業を継いだ日。つまりサラリーマン医師から自営医師に転職した記念日、それが医師になって10年後の1998年6月1日。そこから換算すると継承してからもう16年になり、17年目に突入です。ちなみに偶然は更に重なるのですが、先代の父がこの地で開業したのが1969年6月1日でした。そこまで年代をさかのぼると今年で45年です。あと5年先には半世紀になります。過去から受け継がれていく歴史を考えればとても重みを感じざるを得ません。5年先の2019年は開院50周年にあたりますが、半世紀を経て2度目の東京オリンピックを迎えるのと同じように嬉しい限りです。その時のために今の自分は何をすべきかという質問を自分自身に投げかけています。毎年6月1日という日は今までもそしてこれからも自分がどうやって生きていくべきかを思い悩む一里塚にあたる日なのです。だから毎年この日を迎えるにあたって自分にとって新年に誓いを立てる日と同じ意味合いの日なのです。

さて来年の今日は何をしているのでしょうか?今からこのブログを書きながらこれから1年起こり得ることを想定します。想定しても想定外の事が多くなかなか事はうまく運ばないのですが、マイアナログ手帳に予定を書き込みいろいろと思いを巡らせながら日々精進をしていかなければなりません。

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鹿児島とのご縁

先日鹿児島へ行ってきました。5月末は日本中記録的な猛暑でしたが、この猛暑の中での鹿児島でしたのでさぞかし暑かろうと心配しながらの出張です。先月は熊本へ家族旅行でしたが、今回は日帰り出張です。九州新幹線を利用すれば徳山から直通でおよそ2時間半の旅です。いつもながら新幹線の恩恵で大阪から鹿児島まで完全に日帰り旅行が可能な範囲となりました。昔から車窓の流れゆく景色をボーっと眺めるのが旅の醍醐味でした。それは今でも変わりありませんが、せっかちな日本人が九州新幹線開通で更に増えたかもしれません。鹿児島は過去に4-5回は訪れていて個人的に好きな県です。霧島温泉、桜島、指宿温泉、知覧などを過去に巡りました。観光がほとんどですが他県よりも惹かれてしまいます。それはなぜだろうか?と考えてみるとまずはJRでつながる最南端で西の端、つまり本州の最西端で周囲は海に囲まれた山口県と似かよった土地柄です。だから親近感が湧いてくるのでしょうか。そして歴史的には薩長同盟がすぐに頭に浮かんできます。これも地理的に似た環境が同じ大きな志を100年以上前に抱かせたのでしょうか。方言や歴史や文化など全く異なる地域同志ですが、どこかに見えない糸で結ばれているのでしょう。

当日は8時に徳山を出発して10時半には鹿児島中央駅に到着です。まずは足早に仕事を片付けます。その後は少し時間に余裕ができたので、というよりも無理やり余裕ができるようにはしょった部分も多々ありますが、市内を散策しました。やはりどこに行っても自分の足で街角を歩いてみなければその町の空気を吸うことはできません。そうして初めてその町の息遣いが伝わってくるのです。それは都市でも田舎でも変わりありません。今回は路面電車に乗ってみました。路面電車自体は広島で乗り飽きていますが、ところ変われば趣も変わってきます。170円で市内周遊をしている路面電車でおよそ片道30分程度ボーっと車窓を眺めます。新幹線では味わえないひとときです。それこそ昔ながらのゆっくりと時間が流れる瞬間です。新幹線と路面電車、それは全く異なる乗り物ですがレールの上を走る乗り物に変わりありません。心地よい揺れで鹿児島市内を走ってゆきます。桜島も眺めながらほんの1時間の旅です。今日も夏日で暑く汗をかきながらの小旅行でしたが、その分車内のクーラーはかなりヒンヤリとした別世界でした。

帰りは心地よいクーラーの効いた新幹線でこのブログを書いています。猛スピードで流れ行く車窓には缶ビールが1本。それではなかなかほろ酔い加減とはいきませんが、やはり朝からの疲れも重なってウトウトしてしまいます。睡魔と闘いながら来週のさらさら日記に間に合うように執筆しています。今回の鹿児島出張は猛暑の中での足早の日帰り往復でしたが、それはそれで趣ある非日常の世界をちょっぴり覗くことができて満足のいく6月最初の日曜日でした。そうそう6月1日という日、それは私にとっていろいろな意味での記念日なのです。その記念日についてはまたの機会にお話ししたいと思います。それでは今回の暑い鹿児島中央駅の観覧車からのワンショットを掲載しておきます。

桜島

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