修学旅行今昔物語

来月、長男は修学旅行で東京に2泊3日で行きます。修学旅行も私たちの頃とは行先や内容が様変わりしています。私が小学校6年の時の修学旅行はまだ周南市ではなく新南陽市で市内の3小学校が合同で北九州に1泊2日での電車の旅でした。宿泊した昔懐かしいホテルはたしか「望玄荘」という小高い丘の上に建つホテルでした。今はどうなっているのか?とふと思ってネットで調べてみたら、介護施設としてまだ残っていました。私たちは小倉城や明治製菓を見学してキャラメルをもらって当時の小倉玉屋デパートでお土産を買いました。現在のわが母校の小学生の行く先は昔とそう変わりはしませんが、訪問先は吉野ヶ里遺跡やスペースワールドとやはり現代的です。

中学は京都から奈良の2泊3日で京都のお寺を周って琵琶湖から東大寺というお決まりのコースでしたが、自由行動もあり楽しい想い出となりました。高校は志賀高原から黒部ダムそして立山ルートを巡る旅でした。当時は「どの学校も右にならえ」で似たり寄ったりの修学旅行だったと思います。あえて言えば一部の高校で東京に行って羨ましいという程度の会話が聞かれたくらいです。しかし最近の中学、高校は東京や沖縄などに行くのは当然であわよくば北海道や海外まで足をのばす時代です。うちの子供たちの高校の場合は東京に行ってディズニーランドはお決まりのパターンですが、東大に行って卒業生に学内案内をしてもらって学食で昼食をとるというオプションまでついていました。加熱する受験戦争に勝ち残り生徒のモチベーションを上げるためとはいえ至れり尽くせりで昔の私たちからすれば考えられないような涙ぐましい努力もされています。また長女の中学の修学旅行では、屋久島から種子島に行って宇宙センター見学ツアーもありました。私たちの時代からすれば雲泥の差です。それも少子高齢化で全て時代が変われば修学旅行も変わるということで片付けるには少し抵抗があります。

最近でこそよく海外旅行に出かける時代になりましたが、当時はまだそのような時代ではなく飛行機に乗って沖縄に行くのも夢物語だったように記憶しています。しかし今どきの高校生は修学旅行で韓国や近隣アジア諸国へ修学旅行という時代です。やはり我々とはジェネレーションギャップを感じずにはいられません。昨年長男は学校主催のニュージーランドの姉妹校に7週間行ってきましたが、自分の頃なんて海外ホームステイという催しはあったもののそこまでして行くことはあまりなかったように思います。そして時代の変化に着いていけなくなりつつある自分を感じています。

これからもどんどん便利な世の中になってネットやテレビなどの媒体を使用すれば世界中のどこにでも「ドラえもんのどこでもドア」で入っていけますし、グーグルマップのストリートビューではヨーロッパの街角を画面上で一人散策することもできます。しかしやはりいつの時代でも自分が自分の足で苦労しながら友達とワイワイと歩き回った修学旅行はいつまでも良い思い出になることだけは間違いないと思います。

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延命治療

高齢化社会の突入で延命治療については議論が大いにあることと思いますが、今回は上からも下からも表からも裏からも覗いてみましょう。所詮、煩悩と欲のある人間の考えることですから賛否両論併記でいきたいと思います。

まず「もし自分が寝たきりの植物人間になったらあなたならどうしてほしいですか?」というお題でいきます。この質問ならほとんど人は自分も含めて答えは同じで「延命してほしくない」いう意見に集約されるでしょう。しかし同じ質問でも「自分の親なら?」または「自分の子供なら?」という質問だと急に答えが分かれます。親の場合大往生なら延命なしという選択肢が増えると思いますが、突然のことなら悩みます。少しでも長く生きてほしいという意見が増えると思います。しかし10年来の介護の果てなら延命なしという意見もあるのではないでしょうか。ところが血の分けた子供の場合なら延命あるのみでしょう。親が先にあの世に行くことには異論を挟みませんが、自分の子供が先に旅立つのは到底受け入れ難いものがあります。あくまでも医学評論家的な立場での発言です。でも考えてみてください。条件は皆一緒。瀕死の状態で余命いくばくもない状況にかわりありません。ただ自分のことか家族のことかまたは評論家的な他人事かの違いだけです。まだものも言えず生まれて間もない子供なら別ですが、ある程度社会を覗いて事の善悪がつく年齢になれば自分の生き方、死に方を考えたことはあると思います。結局は「その時になってみなければわからない」という答えが正解だと思います。人間なんて結構身勝手な生き物ですから。

最近、臓器提供意思を示すドナーカードを提示する人が増えています。自分が脳死なら人にあげてもいいかなと皆思うでしょう。しかし自分ではなく家族の場合は答えがまるっきり変わってきます。「そこまで痛い思いはさせたくないから絶対イヤ!」という人から「世の中のどこかで愛する人の分身が生き続けてほしい」と思う人まで幅広いでしょう。脳死はあと数日の命ですからこのような冷静な判断がある程度できますが、脳死ではない植物状態だとこうもいかず前述のようにころころと考え方が変わったり、その時に置かれた状況だけでも変わることもありますよね。

結局は「テメーの事はテメーで決めなければならない」ということが大前提でそれもしっかりとしてないから家族の意見集約もできないのだと思います。最近はドナーカードや生前遺言書の作成から自分の葬式まで生きているうちに死後の事まで事がうまく運ぶようなしくみができています。全てそうとは限りませんがビジネス化されています。また意味は違うものの厚労省は「自宅で最期を」と医療費削減目的で叫んでいます。医者になって25年、医者になりたての頃に自分の祖父が眠るように老衰により自宅で亡くなりました。天井をみながら死にたいといつも思う自分ですが、今は医療技術の発達とモンスターが多くて最期の人間の尊厳死さえも制約が多くなり関係者としては複雑な気持ちです。

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最近あった出来事でちょっと嬉しかったこと

最近あった出来事でちょっと嬉しかったことを今回はお話します。糖尿病を以前から指摘され薬を数種類のんでいた患者さんです。なんのご縁か因果か当院に来られました。ちょうど年齢は私と同じです。HbA1cという糖尿病の血液の数値が10近くありました。薬ものんだりのまなかったりの状況でした。そこでいつもの私の説明が始まります。「水と野菜だけ食べてればノンカロリーだから必ず糖尿病の数値はよくなりますよ」とまず説明しました。それから「リフレッシュ休暇を取って開発途上国にボランティアで3か月行けば世界の人々や社会に貢献ができなおかつ自分の体にもいいことずくめですよ」とたたみかけます。そして最後に私の決めゼリフです。「病気が悪くなるのも良くなるのもあなた自身のことで自己責任です。自分の人生は自分で決めてください」と突き放します。いつもこの三段ロケット攻(口)撃を連射しています。ちなみに彼は同級生だったそうですが、当時面識はありませんでした。もし最初から彼を知っていたらそこまで口撃したかどうかは定かでありませんが、多分2段ロケットまでは飛ばしていたと思います。

そこでこの同級生君、奮起したのか自分で糖質制限ダイエットという本を読んで私の話も参考にしながら食事療法+薬物療法を開始しました。その後徐々に数値もよくなって薬も2種類、1種類と減量できましたが、半年後にとうとう薬が不要となってしまいました。指導した私でさえも薬を全く処方せずに落ち着くとは思っていませんでしたのでホントにビックリです。やはりやる気さえあればメタボは克服できるのだということです。少量の薬を減量、中止にしたケースは私の過去の経験でも散見されますが、今回のケースのように劇的な症例は初めてです。そのご縁もあり、先日飲み会があって彼と同席したのですが、ビールをのまずにハイボールを結構注文して飲んでいました。「やればできるじゃない」という彼の信念に感服していますが、同時に自分の理想とする医療が実現できて嬉しいかぎりでした。冗談で彼に「君のような模範患者さんが増えてしまったらうちの商売あがったりだよ」と酔っぱらって言ったか言わないかは、同級生の飲み会のほろ酔い気分で血液中のアルコール濃度が上昇していたためか記憶が定かではありません。

それともう1件の嬉しかったこと。先日転勤で他県から前医の循環器内科のDrから私宛の紹介状を持参された患者さん。どうして当院の存在を他県のDrが知っていたのだろうと不思議に思って聞きましたら、ネットで当院のHPを見て同じ循環器内科医として気に入ったから紹介状を書いたとその患者さんからお聞きしました。嬉しいかぎりです。私も昔は24時間営業オンコールの循環器内科医をしていましたのでそのDrの気持ちも十分わかるつもりで、現在は同級生君のような循環器疾患を起こす前の患者さんの予防に醍醐味を感じているわけです。最近読んだベストセラーの渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という著書に感銘を受けました。英訳すれば、Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)ですが、座右の銘となっています。

今年もやまほうしの花が咲きました。例年より2週間くらい早いようです。

やまほうしの花

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お姉ちゃんのいない熊本旅行

今回の家族旅行は熊本です。しかし今までと違ってお姉ちゃんがいません。今お姉ちゃんは予備校の寮に入って必死で勉強しています。自分が年をとっていくと子供も一人ずつ巣立っていきます。悲しくもあり嬉しい熊本への旅行の始まりです。ですから今回の旅程は長男と次男が中心になっておじいちゃんの事も考えて計画を立てました。まずは足の悪いおじいちゃんの移動を考えたら新幹線で熊本まで行きそれからジャンボタクシーで移動を今回は選択しました。今はカーナビがあるため不慣れな道中でもどうにかなります。以前カーナビで愛媛県を走りましたが、それでも目的地近くでパーキングや店などを探すとなかなかうまく横づけできませんでした。そして袋小路のような所に入り込んで四苦八苦したのも忘れられません。また運転はほとんど自分一人になるため少し面倒くさいという思いもあります。やっぱり旅はビール片手に流れゆく車窓を眺めるという気持ちの方が今回は強かったのです。

熊本城

熊本駅までは徳山から直通です。九州新幹線が開通して熊本までほんの1時間半で着いてしまうのですから改めてすごいことだと感心させられます。新幹線のおかげで大阪から鹿児島までは日帰り旅行も可能になりましたが、「狭い日本。そんな急いでどこに行く?」という以前流行った標語が思い出されます。初日は熊本駅から阿蘇方面を周遊して天草の下田温泉に泊まりました。日本の夕日100選に選ばれたことのある温泉ホテルです。そのうたい文句につられたのですが、今までもなかなか素晴らしい夕日に出会うことはありませんでした。今回も我々の宿泊をはさんで前後は晴れましたが、今日は曇っています。なかなかめぐり合わせがよくないようです。そして連休です。もう天草の西の果てまでに行く1本道は大渋滞でした。やはり日本は平和な国だなあと思った次第です。イルカウォッチング翌日は海でのイルカウオッチングと次男が好きなお城巡りです。午前中はあいにくの小雨でしたが、熊本城に着いた頃には晴れてきて天守閣まで登ってきました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA今回も1泊2日の駆け足の旅行でしたが、移動が全て自分の運転ではありませんでしたのでいつもよりはゆったりと行けました。地元の地の利を知り尽くしたタクシー運転手さんの案内での移動でしたので時間効率は最高でした。しかし逆に言うと旅なんて少しは道に迷う方が後々にはたくさんの記憶に残るのも事実です。添乗員付きの観光ツアーは楽だけどあまり記憶に残らないで、半日の自由時間にマップ片手に足が棒になるほど歩き疲れた方がよき思い出になるのと一緒です。どちらも捨てがたいですが。今回の熊本は飛び石連休で安近短が流行の1泊で家族一人が欠けた旅行でしたが、また一つ楽しい想い出となりました。でもやっぱり家族が欠けるというのは子供の成長で喜ばしいことと思わなければいけないのですが、寂しくもあります。夏にはリフレッシュ休暇でほんの1週間だけ長女が帰ってきますが、その時の安近短計画を今から立てたいと思っています。その時は家族皆が揃えばよいのですが、そればかりは今からではわかりません。

天草

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もっと歴史を勉強しておけばよかった

今になって高校時代に日本史を選択しなかったという後悔の念が募ります。当時はセンター試験対策のために倫理社会と世界史を選択しました。我々より以前は政経・倫社というツートップを理系受験者は選択していました。当時はセンター対策で必要最小限の時間で最大の得点を稼ぐための手段で皆が皆とは言いませんが、理系受験者の多くはツートップを選択していました。今考えれば恥ずかしいかぎりです。しかし我々の頃からその選択手段が不可とされて地理・歴史から一つ選択しなければならなくなったのです。私は当時日本史の授業が面白いとは思えず世界史を選択しました。これも興味を持ってというより消去法で選択したので後になって選択してよかったという記憶もありません。人生の航海の上では選択に失敗したという後悔だけが残りました。当時にもっと私が世の中に目を向ける興味があれば社会という科目の勉強の方法も変わったのでは?と今さら思います。

今、竹島、北方領土、靖国神社、尖閣諸島、従軍慰安婦、普天間基地問題など日本の歴史を知らなければさっぱりわからない史実が多く存在します。少しは自分でも新聞などを読んで理解しているつもりですが、各新聞でも意見が異なり本当に自分が読んでいる文章が正しいのかどうか判断しかねることも多いです。その時に少しでも当時日本史を勉強しておけばよかったと後悔の念にかられることがあるのです。ただし30年前の高度経済成長時代のイケイケ日本ではそのような歴史認識問題を社会の教科書で取り上げることはあり得なかったとも思います。結局は興味を抱いた時点で自分がそこから勉強を始めるしかないのでしょう。それでも本当に真の理解を得られるかどうかは疑問です。

世界を見渡しても現在、クリミア問題、パレスチナ問題など多くあります。先日のアンネの日記の事件の報道によりその日記がゆくゆくはパレスチナ問題に関する世界の人々の考え方に影響していったという史実をテレビで知りました。これも私が世界史を選択したかどうかに関わりなく当時でも社会科の授業で教えてもらってないと思います。当時の我々受験生も点数至上主義の渦中のアップアップ状態で溺れかけていましたのでそのような余裕もありませんでした。島国の日本は他国から侵略も少なく民族対立も他国と比較すれば少ないのは当然ですが、逆にいえばそれが日本の現在の平和ボケにつながっていったことも否めません。東日本大震災で日本人の素晴らしさを見た反面、世界への目の向け方を少しずつ我々は変えていかなければならないのかもしれません。

そのためにはどうしたらよいか?まずは学校教育で歴史的真実を子供たちにしっかりと教えることで、同時に我々大人も日本と世界の歴史をしっかりと勉強し直す機会を設けるべきです。そのためには社会や政治や教育の専門家がしっかりと世界の中での日本と日本の過去の真実を精査して統一見解を示さなければなりません。多くの異論や議論の噴出は覚悟の上ですが、それを乗り越えなければいつまで経っても日本人が日本のことをよく知らないまま時間だけが過ぎてしまうことになります。

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