褒めることで人間は伸びるか?

褒めると子供でも大人でも悪い気はしません。ビジネス本で「部下を伸ばすには?」というタイトルの内容や「子供の学業成績を伸ばすには?」というタイトルなどいたるところに「褒めて伸ばそう!」という文言が飛び交っています。勿論、その根本を否定する気はさらさらありません。自分でも人に褒められて悪い気など当然しませんから。また最近の体罰の件でも手を出すことは決して良いとは思いません。相手の事を理解してきちんと理屈通りに褒めて教えれば必ず伸ばすことができると書かれています。しかしいつも疑問が湧いてくるのです。私はかの有名な教育指導者でも有名野球監督でもありません。また有名な企業の社長でもありません。総論としては「褒めて伸ばせ!」という事実は納得していますが、各論になると「本当に褒めるだけで人の才能を伸ばすことは可能か?」ということになるのです。なぜなら人間皆個性があり感情を持ちそれぞれ考え方が違います。特に考え方はその人が生まれ育った環境が大きいと思いますが、その後の人生の分岐点によってもかなり変わってくると思います。一概に「褒めて伸ばせ!」というのが本当に正しいのか?という疑問が湧いてくるのです。

例えば、「子供に算数を教えるとき」は計算がきちんとできて答えが正解で子供を褒めてやれば子供は喜んで伸びることそれは間違いないように思います。では大人に対しても同じことが通用するでしょうか?ケースバイケースのような気がしますが、大の大人に「それは素晴らしい」と褒めて伸びるものでしょうか?どちらかといえば大人社会では褒められるよりけなされることの方が多いでしょう。その時「なにクソ!負けてたまるか。あいつを見返してやる」という反骨精神の方がその人を成長させることの方が多いのではないでしょうか。しかし今の世の中の大人にこのように接したら何人が正常に反応してがんばってくれるでしょうか?それだけで「私にはできません」と自らドロップアウトする人間が多いように感じるのは私だけでしょうか?

褒めて人を伸ばすことときつい言葉をかけて人を伸ばすことはアクセルとブレーキのようなもので両輪のバランスがとれて初めて本当に人を伸ばすことができるのではないかと最近とみに感じています。しかし本人の自覚が最も大事で、その自覚が不足していれば伸びる伸びない以前の問題だと思います。最近大人になりきれていない大人が多いと感じるのは私だけでしょうか?私の勘違いであれば幸いなのですが。

最初のテーマに戻りますが、褒めることそれ自体は間違いなく人を伸ばすと確信しています。しかしそれを馬の手綱を引くようにどのようにすれば相手の魅力を最大限に引き出してあげることができるかはまだ暗中模索しています。ただ相手方も素直に受け入れるということが必要であることは言うまでもありません。「素直」という子供時代には当然もっていたけれども、大人になってどこかに置き忘れてきたものをもう一度思い出してほしいと思います。

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早い梅雨明けで思う地球の異常気象

今年は例年より2週間早く梅雨明けしました。5月末には例年より2週間早く梅雨入りしましたので期間的には同じくらいでしょう。しかし今年の梅雨は例年と違っていたと思いませんか?私の個人的な意見なのですが。地球の温暖化に関係しているといえばそれで決まりですが、本当にそうなのかどうかはわかりません。梅雨ってムシムシして不快指数100%で今年の梅雨の不快さもさほど変わりありませんでしたが、なんとなく心地よい風も吹いてスーッと通り過ぎて行った感じです。雨量は平年以上でしたが、雨量よりもゲリラ的な短時間の豪雨、言い換えればスコールのような雨が増えたように感じます。それに伴い土砂災害や洪水による浸水被害も増えたのではないでしょうか。梅雨だけでもその出で立ちが昔と変わってきたようです。

それでは他に気になる日本の気候について取り上げてみましょう。「まず何といっても暑い!」自分が子供の頃つまり30年以上も前になりますが、35度オーバーの猛暑日なんてそんなに聞いたことがありませんでした。暑くても30度台前半の真夏日でしたし、夜も熱帯夜はあったと思いますが、これほど頻回にはなかったと思います。昔は夜間に暑くて眠れなかったという記憶はあまりありません。しかしこれは当時の子供の感覚で、一度寝てしまえば今の自分のように何度も目を覚ますことはなかったので年齢的な影響かもしれません。しかしまだトイレで目が覚めるまでには至っていません。それと今では死語になりましたが、蚊帳に入って寝ていましたよね。このキーワードがわかる人は多分40歳以上の人でしょうか。蚊にかまれないように人間様があの鳥かごのような蚊帳の中に入って、窓は開けっ放しで寝ていたものです。当時は戸締りなんて考えもせず、今のような犯罪も少なかったものです。現在のぶっそうな世の中を憂いているのは私だけではないでしょう。

また冬は冬で、私は根っからの山口県で育ったのですが、当時はひと冬で3-4回は30cmの雪が積もっていました。日本地図からみればかなり南に位置して社会で習った瀬戸内気候という温暖な地域でしたので、大学時代に上京して6年間住んでいた当時の東京の寒さと雪の積もり方にはさすがに参りました。しかしこの20年間ではひと冬にまともに20cmの積雪というのは数年に一度でしょうか。台風も大型で強烈化していますよね。昔なら950ミリバールですごいと思っていたのが、今では900ヘクトパスカルで最大瞬間風速も50mオーバーというのをよく耳にします。人間と同じく自然の狂暴化でしょうか。

ケータイやネットで世の中が変わったように、人間が快適で便利に生きていくために石炭や石油を燃やして更に原発で電気を補填しないと経済自体がまわらない世の中に変化を遂げてしまいました。一方で自然が猛威をふるって「皆が幸せに暮らしていくには本当に便利だけの追及でいいの?この世界は」という難問を人間社会に問いかけているのかもしれません。このような自然からの警告を真摯に受け止めて今年の猛暑の夏も節電をしながら我々皆でいい知恵を出して考えていかなければならないと思います。

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可愛い子には旅をさせよ

この諺は皆さんもよくご存知だと思いますが、今回は短期留学について考えてみたいと思います。私が医師になってから8年目の30歳すぎで大学病院に勤務していた時、今から思えば1年間くらいアメリカに留学する可能性はあったかもしれません。しかし諸事情もさることながらその当時は英語を話したり聞いたりすること自体が面倒くさくて嫌いだったので自分から日本の鎖国状態の中で生きていければそれでいいというのが本音でした。また遡ること35年、高校1年のときに当時夏休みを使って30日間の海外ホームステイを計画したことがありました。しかしその時も「学校の夏休みの夏期講習はどうするの?」などと言われて頓挫した経験があります。その後海外旅行は何度かしましたが、ほんの5日間、長くても1週間程度の観光です。本当の海外の魅力などわかりゃしません。

そのような背景のもと今回の「可愛い子には旅をさせよ」というテーマの登場です。息子の通学する学校はニュージーランドに姉妹校があり、そこに夏休みを使って短期留学ができます。計7週間の50日間です。これくらいの期間行けば少しは外国人や日本人の良し悪しがわかるかもしれません。また希望者には中学3年に1年間の留学もあります。さすがにそこまで行かせるかどうかは疑問ですが。今回は英検3級を持っていることが最低条件でなんとかクリアしていけることになった次第です。

もし自分が若くて何も束縛などなければ、今の自分なら海外留学に行くと思います。「かわいい自分も旅をさせよ」でしょうか。しかし行ったら行ったで言語や生活習慣の違いなどによる摩擦も必ず生じます。それを乗り越えなければなりません。「何事にも面倒くさいと思っている自分」と「何かにチャレンジしてみたいと思っている自分」その二つの自分が心の中で戦って葛藤しています。あるときは「弱気の自分」が「強気の自分」を凌駕します。その時はじっとだまって静かに耐えています。しかし「強気の自分」が優位になってくると今度は「イケイケ、ゴー」です。人生なんてその繰り返しです。ポジティブな波とネガティブな波が人生には交互に押し寄せてきます。人生の大海原でポツンと孤独のヨットに乗っていつ来るかわからない風をたよりにじっと我慢してひたすら毎日を必死で生きている自分。その毎日毎日をがんばっていくのがとても大切なのですが、退屈なときもあります。テレビゲームのロールプレイングで一面クリアすると更に難関な画面の登場でさらにのめりこんでいく自分のようでもあります。

出発は数日後。このブログが出る頃には南半球で生活しています。このような短期留学は本人にとってかけがえのない体験になることでしょう。親としては静かに見守ってやりたいと思っています。そして盆がすぎて50日後に帰国したときの彼の成長を密かに期待しています。とはいってもそれくらいの期間でそんなに物事が大きく変わるはずはありませんが、これからの将来、何かしら変わるきっかけというか些細なことをつかんでくるだけで今回の短期留学は大成功なのではないかと個人的には思っています。

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梅雨の中の運動会

梅雨時期に運動会というのはあまり聞きません。しかし体育館での運動会ならそれもありです。毎年6月の第4日曜日は梅雨の中の体育館での運動会です。今年は長女が高校3年でこの運動会を最後に学校行事は全て終了して、後は受験まっしぐらとなります。公立高校は秋に運動会と文化祭を行ってそれから残り4か月でセンター試験に突入のパターンが多く、実際自分の時代もそうでした。ですから入試まで時間の余裕など全くありませんでした。しかし秋の運動会まで受験勉強をしていないというわけでもなく、それなりの準備はしているのでいつ運動会や文化祭をやろうともちゃんと準備できている者はちゃんと翌春の桜は咲くわけです。それができてない者は桜散って晴れて浪人生活突入です。私は運よく現役合格しましたが、この年になってというか、大学に入学した後に強く感じたことは「浪人して1年回り道するのも決して悪くはない」と思うようになったことです。現役時代には「もう1年同じように受験勉強なんかしたくはない」と思うのですが、大学に入学して周囲に1浪から3浪くらいまでがゴロゴロいる医学部では浪人して苦労している分だけ人間の幅というか厚みが厚いように感じられました。勿論、それは現役生の物の見方で、決して浪人生の物の見方ではありません。結局、長い人生を10年単位で見ればどちらもそうたいして変わりはないというのが50歳を目前にした個人的な意見です。

話が逸れましたが、運動会自体を考えれば昔からの秋晴れの下での運動会というのが当たり前で、夏までに実施するのは受験などその他の学校行事を考慮してのことだと思っています。しかし通常は5月末の梅雨に入るまでに実施する学校がほとんどです。なかなか梅雨時分に行われることはありません。体育館とはいっても広島サンプラザといって床面積が60×40mの広さもありますから徒競走などもトラックの円周部分がやや急な曲りになりますが、競技自体にはそうさしつかえはありません。今昔物語ですが、体育館で冷房のきいた運動会など自分の時代には考えられなかったことです。そんな長女の体育館での運動会も今年で最後になります。悔いの残らないように楽しんでもらいたいと思います。

それでは本題です。秋空の下と屋内での運動会はどちらがいいか?秋空の下での運動会がいいに決まっています。それは今までの価値観でしか判断できない我々の答えです。今時のゲームやケータイ世代の子供たちは外にすら遊びに出ることも少なく家に閉じこもっていることが多いので、親世代としてはなおさら秋空の下です。しかし本当に今の世代が我々と同じように思っているとは限りません。最終的には主役である子供たちがその時を十分に楽しんで力いっぱい競技できれば時期や場所はあまり関係ないでしょう。もし秋晴れの下なら非常によいのですが、何年かに一度は雨や台風で延期になったり、学校行事との兼ね合いで小雨の中でも運動会を強行して競技を一部はしょって昼過ぎには終了という消化不良試合の場合も過去にはありました。ですから秋晴れの下と屋内での運動会のどちらがよいかは一概には言えないのかもしれません。

体育館での運動会

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お湯巡り

私は以前から烏の行水が得意で長風呂というのがどうも苦手です。しかし温泉巡りは好きでこの15年間にちょこちょこっとほとんど1泊2日、長くても連休をはさんで3日間で行っています。仕事柄そんなに長期に診療所を空けることができないのが理由です。かれこれ北は北海道の登別温泉は真っ白のお湯、北陸は日本一有名な和倉温泉の加賀屋で海が目の前のためしょっぱいお湯。南は指宿温泉、これはお湯もさることながら砂風呂、なかなか他ではお目にかかることはありません。あと最近では、霧島、別府、道後、一の俣や湯本にも行ってきました。数えてみれば長風呂が苦手な私でもかなりの温泉巡りをしています。行った先々での泉質は勿論ですが、泊まった宿での家族で過ごしたひとときの楽しい思い出がよみがえってきます。

温泉宿で一泊してゆっくりという雰囲気がよいのは勿論ですが、更に入浴というキーワードを突き詰めていくと温泉という湯の泉質よりも大浴場でゆったりと足が伸ばせれば銭湯でもいいのではないかなと思っています。以前、大阪のUSJに行ったときにオフィシャルホテルで地上31階の最上階に地下1kmから掘って吸い上げた温泉に入ったことがあります。窓からは大阪湾を一望できこれはこれでシティーホテル&温泉でとても気持ち良い気分にさせてもらった記憶もあります。ですから3月に東京出張に行ったときも大浴場のあるホテルというキーワードで検索して探してみました。調べてみるとなかなかそのようなホテル&大浴場ってないものです。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、最近はビジネスホテル系列や全国に展開しているホテルで最上階に大浴場で湯ったりというキャッチフレーズを見かけるようになりました。そのような経緯でネット検索にて三井ガーデンホテル汐留イタリア街に3月に宿泊してお手軽でよかったため、今回の出張でも泊まることにしました。

ここのホテルの大浴場を簡単に説明しますと、まず最上階の13階に10人程度が入れる大浴場があります。前回は発見できず今回発見したのですが、湯船のつかる位置の角度でなんと湯船につかりながら東京タワーが眺められるのです。今回は早めのチェックインをして19時頃から湯船につかりながらボーッと東京タワーの夜景を望むと本当に一日の疲れがとれ、いくら長風呂が嫌いな私でもついつい30分は経過してしまいます。夜8時に真っ赤な東京タワーのライトが突然消えました。停電?と思いましたが、あたりのビルの電気はついています。ものの1分でしょうか、とても長く感じられましたが、青いお化粧でタワーの再登場です。またちょうど夕食時なのでしょうか、それとも早めのお風呂のためでしょうか、大浴場は私だけで貸切状態です。翌朝も朝一番に起きて朝風呂です。昨夜とは違って数名の方が大浴場の湯船につかっていらっしゃいます。日本人って本当に風呂好きな人種だと思います。梅雨の日曜の朝6時、湯船の窓の向こうには東京タワーが霞んでいます。湯っくりつかって、さあ今日1日、東京での仕事開始です。

東京タワー

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