来年2022年は次世代へのミレニアムの年に

今年も新型コロナで始まり新型コロナで終わった1年でした。振り返ってみますと年始にいきなり行政から新型コロナワクチン集団接種の要請がきてもう1月から3月は怒涛の如く調整に追われました。やっている仕事はそんなに多くはないのですが、そのかじ取りを任されたための重責で精神的にかなりテンパっていたように思います。そして医療従事者からのワクチン開始で波に乗り夏までに一般集団接種から個別接種の計画をスムーズに実行できたのは医師会と行政の二人三脚の賜物でした。東京五輪の開幕した夏には中学生の集団接種を終了して第5波も乗り越え、秋にはワクチン業務の仕事が一段落といったところでした。そして3回目のブースター接種や第6波の話題が出始めた秋には周南市では8割近い市民が予防接種を終えて新規感染者もゼロを更新する日も続出して安堵した日々でしたが、これはひとえに菅前総理のワクチン接種政策の英断だったと思います。そして12月になり新たにオミクロン株の出現や医療関係者の3回目のワクチン接種が始まり、我々も12月下旬に接種を終了して、年始からは65歳以上の市民に3回目のワクチン接種が始まります。新型コロナの話題だけでも春夏秋冬で話題に尽きません。しかしこれだけで今年を締めくくるのはあまりにも寂しいので今回の新型コロナ感染症から学び未来に生かすためにも少し話題を変えてみましょう。

日常と非日常という対の言葉がありますが、今回は「日本沈没」によって日常の素晴らしさは非日常になって初めて感じることができました。小学生の頃に村野武則氏主演でテレビにかじりついた記憶があります。その頃は日常と非日常という対比について考えた事はありませんでしたが、この歳になり更にコロナ禍という非日常を経験した者は日本沈没をどうしても重ね合わせたくなります。テレビでもネットでも「日常をしっかり生きていくことこそ最も重要」というフレーズは登場しますが、読み手はスルーしてしまいます。それが普通なのです。それが普通でなくなった時に、目の前の相手と大きな声でマスク無しに話すことさえできずに非日常を強く感じてしまいます。地球温暖化で太平洋諸国のツバル共和国が海水面の上昇を全世界に訴えますが、日常の日本ではあまり見向きされませんでしたが、コロナ禍と日本沈没という非日常を実体験もしくは仮想体験するとやはり二酸化炭素の削減は待ったなしではないかと再認識させられます。

人間が他の生き物と異なって優れていると信じるのは愚かです。知能的に他の動物より優れているのは事実ですが、欲望には勝てずに愚かな事を繰り返してきました。またこれから未来に向かっても愚かな事を繰り返す生き物だと思っています。しかしそれを1mmでもいいから新型コロナの経験を生かして良き未来に繋げていかなければなりません。2020年初冬から始まった100年に一度の地球規模の大騒動も2年が経過しました。2022年もまだその残り火で騒動が続くのでしょうが、次の100年のために地球規模で2022年が次へのステップのためのミレニアムの年にしてほしいです。

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墓じまいと納骨堂

もう8年前になりますが、都会では墓じまいをする人が増えているとテレビで特集をしていました。その当時はそんなに気にしていませんでしたが、両親が高齢になって盆正や彼岸の墓参りは登れないので我々の世代に任せると言いだした頃と丁度重なります。平地にお墓があれば良いのですが、当家のお墓は禅宗寺山の頂上にあり、上り坂は急で高齢者はとても登れません。そんなことは冷静に考えれば誰しもわかるのですが、墓を建立した当時は先祖も若かったのでそんなことも思いもしなかったのでしょう。しかしまだ元気な私でさえ70歳を過ぎると本当に登れるかどうかは自信がありません。また子供たちも年に数回しか帰省せず帰っても雨が降って天気が悪ければ墓参りもできません。そう考えるうちに以前テレビで見た納骨堂の事が頭を過ぎりました。それで5年前に納骨堂にかわるかどうかは別にしてどんなものかを墓参りを放棄した両親を連れて見に行きました。その時は狭い仏壇で費用もかかるしすぐにする必要もないけれど、今後更に核家族化が進めば墓参りも大変になり山頂の墓も草ぼうぼうになるのではないかと危惧もありましたので、そんなに違和感もなく見学終了となりました。

それから3年が過ぎ父親が亡くなり埋葬した後に、母は歩けなくなり墓参りは不可能となった時に車いすでも参れるお墓というキャッチフレーズでふっと納骨堂に移転することが私の脳裏に蘇ってきました。そして子供たちも時間が合わずに家族皆で墓参りなどこの10年していません。思い立ったが吉日ですぐさま今年の秋に墓じまいと納骨堂に移転の計画を実行に移しました。住職に墓じまいの供養をしていただき、石材屋さんに墓から骨壺を取り出してきれいにしてもらい更に墓の撤去をしてもらって最後に納骨堂に移り供養もしてもらわなければなりません。一連の作業に2か月程度の期間を要して11月下旬の小春日和の土曜午後に全ての工程が終了しました。その時も家族皆が集まれるわけでもなく帰省できるものだけが帰省しての供養となりました。墓じまいをする直前に家内と二人で山頂に登り最後の清掃をしましたが、これからは草抜きや清掃は不要になります。また雨や雪でも関係なしに正月に帰省した子供たちもお参りに行けます。そして以前一番厄介だったお盆前後の墓参りは蚊がもぶれついて下山する頃には全身が噛まれまくりになるために真夏でも長袖長ズボンで全身隈なく防備しなければなりませんでした。それがなくなるだけでも墓守にしてみれば大きな解放感に繋がるはずです。

今回の墓じまいと納骨堂への移転計画は私の代にやらなければ次世代では更に困難が予想されるため、今回思い切って行動したことは私にとっては正解だったと思っています。そしてお正月に帰省した子供たちも気軽に参れますし、可能なら車いすを使用してでも母にお参りしてもらいたいと思っています。新しい事をする前は用意周到に考えますが、本当に良かったかどうかは後世が判断すればよいのです。しかし山頂にあった隣のお墓の方が年末に登られた時にいきなり当家の墓がなくなっていたら腰を抜かすかもしれません。

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ワクチンの副反応と薬の副作用

最近、新型コロナワクチン接種で副反応という言葉をよく耳にしますが、以前から薬に関しては副作用という言葉が一般的でした。医師である私自身も厳密にこの言葉の使い分けを知りませんでしたので調べますと、どちらも有害な影響を与える事象のことでワクチンなら副反応で薬なら副作用を意味します。国語辞典は別として専門家に言わせると「厳密にはそうではない」と言われそうですが、過去の日本の薬剤に対する歴史においてそのように言葉が使い分けられていたようで一般的には同義語と見なして良いようです。しかし素人が言葉だけ聞くと副作用は肝障害など多種の作用があって恐ろしそうです。一方で副反応はワクチン接種で頭痛や発熱など軽い症状であり、待てば自然に治まるように聞こえます。英語ではどちらもside effectで同じ単語のようですが、日本語は多くの単語が存在して異なる意味を持つことも多いために解読は他の言語と比較して難しくしています。このように日本語の使い分けが難しい一例を示しましたが、有害な影響を被ってしまった人にとっては副反応でも副作用でも辛いことに変わりはありません。

10月下旬で新型コロナワクチンを2回接種済の方は日本の人口の7割を超えました。先進国の中では接種開始が遅れましたが、現在では世界で一番多い割合になっています。これに関しては菅前総理の功績に間違いありません。一方でアナフィラキシーショックを始めとした副反応についてはあまり詳細な報道は見受けられません。毎日の新規感染者数は逐一報道するのにどうもマスコミは専門家から言わせれば少しずれていると言わざるを得ません。しかし一般人から見れば国の専門家部会の提言が新規感染抑制のために夜の流入人口の減少や飲食店の営業時間制限などずっと一辺倒でした。これに関しても最初は国民皆がそれを信じて従っていましたが、最近の新規感染者数の激減に関しては従来からの行動変容のみで本当にそれらを説明できるのかは少し疑問です。しかし現時点で国民の8割近くがワクチン接種済でマスクをして行儀のよい国民性が激減に関与していることに間違いはありません。

副反応についてはうやむやのままワクチン接種が開始されて早1年が経過しようとしています。そしてワクチン接種希望者にほぼ全て行き届き3回目のブースター接種についても12月から開始されました。しかしアナフィラキシーショックや心筋炎などの副反応についてしっかりとした情報公開がマスコミを通してなされていません。勿論、副反応に関してはワクチンとの因果関係を断定するのは非常に困難であることは医師としては十分承知していますが、それでも何かしらの情報開示が必要な時期に来ています。なぜなら米国が5歳から11歳の新型コロナワクチン接種を推奨したからです。若年者の1万人に1人程度の軽い心筋炎が発症することは医療関係者からすればリスクよりもベネフィットが上回るということであまり気にしないのですが、素人からみればかなり恐ろしく感じられるに違いありません。その点をきちっと情報開示することが政府には今必要な事なのです。

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今年の忘年会は?

緊急事態宣言が10月下旬に全国で全面解除になり新規感染者数も激減しています。テレビでは飲食業のスタッフが仕事を再開できる喜びと減った客足が元に戻るのかという不安を抱えながらインタビューをされていました。都会ではまだしも田舎では一度減ったお客さんは簡単には戻ってこないようです。これから忘年会シーズンになりますが、先日の企業へのアンケートでは7割の会社が今年の忘年会は開催しないとの回答でした。なかなか厳しい結果です。また自宅での家飲みが一般的になったため個人やグループの忘年会も少ないかもしれませんが、家族絡みの食事会は年末にかけて回復してくるかもしれません。個人的には夏から秋にかけて飲みに出ていませんでしたので、そろそろ行きつけのお店には顔を出さねばと思っていますが、お店の敷居が少し高くなったような気がします。

このままコロナ感染症の下げ止まりが続けば、今年の忘年会は一体どうなるのでしょうか?先ほどの忘年会をしないという会社の多くは、その理由として万が一でも忘年会でクラスターでも出ようものなら日本の悪習である村八分という陰湿なイジメをされる可能性が大きいために忘年会を推奨できないのでしょう。この1年で地元の飲食店が宅配を始めるケースも増えてきましたのでそれを利用して忘年会ならぬ弁当の昼食会を会社で開催するのもありかと思います。しかし弁当宅配をしていない飲食店が大半ですので、そこには個別に少人数での忘年会もありではないかと個人的には思います。いつまで待っても新型コロナ感染者数はゼロにはなりません。それならば今度は飲食店を助ける気持ちで少しでも行きつけのお店に還元してあげるのも必要です。ただし日本の忘年会は以前なら大声を張り上げてお酌を互いにしながら親睦を深めるというパターンが一般的でしたが、今回の教訓を経て静かに飲み食いをするという習慣も身につけなければいけません。家族で食事なら笑いはしても大声を張り上げることはないでしょう。マスクをつけるのも当然の世の中になりましたので、ここで一気に社会も変わっていかなければなりません。勿論、マスクをつけられないとか一部の例外や弱者に対して優しい社会でもなければいけません。マスクを着けて乾杯をして飲んでいるとき以外はマスクを外さないという以前では考えられなかった光景を今では飲食店で当然のように見受けられるようになりました。「やればできる」のですが、最近少し気の緩みが出てきているかもしれません。

今回は飲食店に絞った新しい視点での忘年会のお話になりましたが、それはその他の観光業や全ての業種の方々への手助けにも同じ事が言えます。日本人の悪しき習慣はこれを機に排除してこれからの新しい社会への成長ために日本人自身が変わっていかなければなりません。一般的に日本人は謙虚で勤勉で人の言うことを素直に聞きます。外交ではこれが災いすることはよくありますが、この新型コロナに打ち勝ち共存していく上ではこの日本人の性格は必ず良い方向に向かうはずです。見てください!外国では制限が解除されればマスクさえつけない人が多く、それが感染拡大の一因になっている可能性もあります。

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新型コロナで貴重な青春時代を失っている今の大学生

今年も長女と長男の大学の学園祭は中止となりました。運営の都合上、2か月以上前には決めなければいけませんので夏休み明け早々に決定していました。その頃の東京の新型コロナ感染者数は減少に転じていましたが、これ程までに減少するとは誰が予想したでしょうか?予想なんて博打と一緒で当たっても当たらなくても予想屋に罪はありません。大学の偉い先生方が専門部会を作っていろいろな角度から検討してもこの結果です。やはり自然現象を人間が偉そうに予想するなんて身分不相応なのかもしれません。それでも人類は目先の欲を追求するために日々の新型コロナ対策に没頭し続けています。そして10月になると新型コロナ感染者数が激減しました。この状況が2か月早ければ条件付きで学園祭は開催されていたかもしれません。まあ愚痴を言っても何も得るものはありませんのでこれくらいにしておきます。

かれこれ40年前にタイムスリップしてみると、自分にとっては大学の学生時代はいろいろな経験ができて貴重な時間を過ごすことができました。特に田舎者が花の都の東京に生まれて初めて行ったものですから、見るもの聞くもの全てが新鮮で田舎の時間の流れよりも数倍速くそして田舎よりも10年先の未来を見ていたように思えます。そんな中で多感な青春時代を過ごせたことが今の自分のかなりの部分を形成したのではないかと思います。そんな経験を踏まえて子供たちにも一生東京暮らしとは思っていませんが、人生のある部分だけは東京で過ごすことの重要性を感じています。そのため「お金はかかっても一度は東京」と送り出しました。それがこの新型コロナの蔓延でかなり計画が崩れました。長女は最初の3年間は学生生活にコロナの影響は全くありませんでしたのでそれでも良かったのですが、長男は入学して1年も経たずにもろにコロナのとばっちりを食らいました。それでも2年前に学園祭を一度だけは経験できたのはせめてもの救いです。勿論、学園祭だけに限らず授業もオンラインになり、実習もほぼ中止になり学業でも相当な影響が出ていますが致し方ありません。またアルバイトもかなり制限されて遊ぶための小遣いもあまりないため、寮でゴロゴロした生活になりがちです。性格的にはこもるタイプなので本人にすればあまり関係ないのかもしれませんが、食費を削って遊び金に回しかねないこともあり気が気ではありません。自分の学生時代も松屋の牛丼を毎日食べて食費を削ることもありましたが、若さは無敵でそれも今となっては良き思い出ではあります。

そして今の若者が「この貴重な2年間を返せ!」と叫んでいるに違いありませんが、どうしてやることもできません。少しでも早くコロナの終息を願って今できることをするだけです。医療業界の大変さや飲食業をはじめ多種の職種の方々のご苦労も十分理解はしているつもりですが、自分が20歳そこそこの古き良き時代を思い出すにつけこの新型コロナは憎さ百倍です。テレビで冬には新型コロナの第6波は来ると断言していますが、ワクチンと日本人の謙虚さと行儀作法の良さで第6波は来させたくはありません。

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