平成31年幕開け

年も変わって平成31年になりました。今年もあと4か月弱です。昨年の最初で最後の平成天皇陛下と御対面について今回はお話したいと思います。平成301223日は朝からどんよりとした雲に覆われていました。事前の週間天気予報では雨でしたので降らないだけでもマシです。私は三者面談のため参賀に間に合わないかもしれませんでしたので、次男と長女は先に皇居に向かいましたが、山の手線の人身事故で予定より大幅に遅れます。東京駅を降りると丸の内口からはまっすぐに一本の大きな通りが皇居へと延びています。私たちが駅に到着するともう自然に人の流れが皇居へと向かっています。道に迷うことはなく悩まずに前の人の背中を見るだけでよいので楽です。皇居へ続く道すがらの景色をキョロキョロと周囲を見渡しながら歩いて行きます。初めて歩く道は目の前に皇居が見えていてもとても遠く感じます。昔の江戸城はとても大きかったのでしょう。長女に電話してお互いの現在地を確認して合流したいのですが、この人込みの流れでは押しのけて前へ進むことは困難です。午前中に3回の参賀がありますが、10時過ぎまでには並ばないと皇居に入って参賀できないと事前のネット検索で書いてありましたので正面の門を潜り抜けても気が気ではありません。延々と長い列が果てしなく前へと繋がっています。なんとか我々は1120分の最終参賀には間に合いそうですが予断を許しません。緊張の連続で皇居の中の広場までやって来ましたが、とても予定の1120分には入場できません。場内アナウンスが最終参賀は1150分に遅らせると流れます。今年の入場者は例年よりはるかに多いため参賀は予定通りにいかないようです。1130分にやっとのことで参賀の広場に到着で今か今かと固唾をのんで待ちますが小雨が降ってきます。1150分ちょうどに遥か彼方の透明のガラス越しに天皇陛下がお出ましになりました。周囲から「天皇陛下、万歳!」の掛け声がかかります。皆が小旗を振ります。スマホやカメラのシャッター音が鳴り響きます。平成最初で最後の参賀はものの10分で私の30年が駆け抜けました。

午後は次男が美術館に行きたいとの希望で上野に向かいました。上の森美術館のフェルメール展を事前に予約して鑑賞しました。絵画には全く興味が無いと勝手に思い込んでいた親としてはビックリです。文化や芸能などあらゆる面で都会は田舎と異なります。私は大学受験までは東京に出ませんでしたが、子供たちには少しでもいろいろな可能性や経験を積ませてやりたくできれば大学は東京に行かせてやりたいと思っています。東京を肌で感じることによってその良い面と悪い面を知ることが井の中の蛙にならずに、将来必ず田舎の良さもわかるのです。私はフェルメールの名前しか知りませんでしたが、鑑賞すると観たことのある絵もかなりありました。「なぜフェルメール鑑賞をしたのか?」と次男に聞くと「美術の先生が冬休みに上京するなら必ずフェルメールを観た方が良い」と授業で言われたそうです。「なんだ、そういうことか」と思いましたが、それでも観たいと思った次男を褒めてやりたいと思います。明日は隣の美術館でルーベンス鑑賞です。

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平成30年も終わります

今年最後のブログとなりましたので毎年恒例の歳末放談です。今年はなんといっても平成最後の大晦日です。元号が変わるのは30年ぶりで前回の時は研修医1年目の正月明けのバイト先で新元号を迎えました。昭和天皇の崩御でいきなり平成という元号を当時の小渕官房長官がテレビの前で発表されたのが昨日のようです。今回はあらかじめ新元号が発表される予定ですが、それでもいろいろと気忙しい1年になります。今年のゆく年くる年はテレビの前で嫌がおうにも感慨深くさせてくれることでしょう。

今年の最大のイベントは5月に院長交代という継承をしたことです。高齢の院長である父から当初は10月に継承する予定で事を進めていましたが、体調不良で入院したため急遽5月下旬という中途半端な時期に交代となってしまいました。少しずつ準備をしていましたのでスムーズに継承はできたのですが、それでもやることなすこと全ての手続きが初めてですのでいろいろとトラブルもありました。しかしどうにか家族やスタッフの助けを借りながら乗り切れたことで半年を経過した現在でやっとほっとしています。またおかげさまで体調不良の父も悪いながら低空飛行ですが安定して現在も入院中です。5月に急に体調を崩した時は父の容態よりも診療所存続させるためのお役所手続の方でテンパってしまいました。人の生き死によりもお役所手続の方に心配がいくなんて本末転倒のような気がしますが、日本のお役所はそれくらいの融通のきかない所なのでしょう。これからも末永く医療を細々と継承していくつもりです。

大きな出来事はそれのみで次の出来事といえば長男が浪人しましたので自分の心の中の気持ちとしては喪中のような感じです。早く年明けの入試で結果を出して喪が明けてほしいと思っていますが、こればっかりは相手のある事なのでどうにもなりません。まだまだ3月までは気忙しさが続きそうです。個人的には昨年の12月初めにいろいろな思いが重なり高校の数学、物理、化学を勉強することになり先月の11月までに一応1周目を終了させたことでしょうか。勿論試験問題として出題されても解けるほどの実力はありませんが、例題レベルなら解答を読めば理解でき子供に教えられるレベルまで引き上げたという感じです。それでも勉強しているとただ単にその内容を理解できるだけでなく、世の中のしくみと密接に関わっている事象がたくさん存在していることに改めて気づかされました。初めて勉強する時にはなんでこんな役立たずの事を勉強しなければいけないのだろうかと疑問に思うことがよくあります。しかしある程度いろいろな人生経験をした上で再びその勉強をすると過去には見えなかったものが見えてくることもよくあります。たまたま若かりし高校時代になんでこんなつまらない事をやらせるのかと思っていただけなのです。それは現在の立場でも同じように当てはまるのかもしれません。来年の歳末法放談は新しい元号の元での新たな一歩を踏み出してたくさんの素晴らしい経験をしてまたこの場でお話したいと思います。さらば平成!

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平成最後の天皇誕生日

1222日から次男は冬休みで帰省してきます。長男も長女も東京にいますので次男も必然的に東京に憧れをもちます。10月に次男は何を血迷ったかいきなり今の学校をやめて東京の高校に行きたいと言い出しました。流石に目が点になってかなり言い争いになりましたが、2週間でその考えも撤回しました。未だにどうしてそのような考えに至ったのかその理由を知りたいのですが、再びお互いの心の混乱を導きたくないので敢えて次男とこの会話をしていません。恐らくは長男同様に過去の経験からいわゆる中3病で思春期の感冒症状と思っています。そんな背景もありまた長男の受験校の決定のための最終三者面談のために上京しなければなりませんでしたので、次男の鬱憤解消も含めて冬休みの最初に上京することにしました。長男の受験最終コーナーで家族揃って夕食を共にして長男を激励する意味もあります。4年前には大晦日に浪人中の長女を激励するために家族で小倉に行って皆で昼食を共にしました。ある種の願掛けのようなものです。せっかく天皇誕生日を挟んで上京するので、今回は皇居で天皇陛下の誕生参賀詣での予定でこちらの面談時間に次男は一人で皇居に向かわせて後で合流する予定にしていますが、今年は平成最後の天皇誕生日ということで例年よりもかなり多い参賀者で列の先頭は遥か彼方で見えないかもしれません。私は大学時代に東京に住んでいましたが、一度も皇居に行ったことがありませんでした。当時は若くて心の余裕もなく天皇陛下を敬うような気持ちにもならなかったのかもしれません。またいつかは行けると思っていたのかもしれません。いつかなどという思いは過去の経験からすると必ず嘘になります。ですから今回の気持ちは大切にしていざ決行となったわけです。

妻は前日に長男の世話を焼きに上京済で私は新幹線で22日土曜の午後に上京です。次男は一人で福岡空港から羽田経由で長女と長男と渋谷で待ち合わせです。特に次男は早くから自立させていましたので一人で飛行機に乗るなんて朝飯前です。お頭は別として生きていく上では一番次男が雑草の如く行動力がありますがそれでも15歳です。今回の件のような思春期の風邪症状もありますので注意して見守らなければなりません。到着日は折しも3連休でクリスマス前の真只中です。それでもどうにか東京在住の長女にレストランの予約をさせて翌月に控えた長男の受験の最終エール交換の予定です。先日の電話でも長男はいつもの通り試験1か月前にもかかわらずいたって平静を装っています。過去にその偽りの仮面で我々は何度も騙されてきましたので今回はこちらから先手を打った次第です。この数時間が長男にとって何倍にも増幅して結果として帰ってくれば儲けものです。長女もバイトを休んで付き合う予定です。この4月から半年以上も家族5人で食事をしたことはありません。そういう意味ではほんの僅かな時間ですがとても貴重な時間です。私は私で今回は三者面談の緊張もありますが、それ以上に皆が揃うことをとても楽しみにしています。天皇誕生参賀など詳細は次回をお楽しみに。

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思想の自由と表現の自由は違う

最近よく表現の自由という言葉が独り歩きしています。この言葉を本当に理解しているのか甚だ疑問に思うことが多いのです。自由という言葉は聞こえが良いのですが、自由は何を言ってもよいのではありません。例えば差別用語などは表現の自由ではありません。では区別なら良いではないかという声が聞こえてきます。しかし自由を振りかざすためには相応の義務というかルールが存在します。SNSで皆さん自由な発言を投稿しますが、勘違いをして何でも思ったことを書けばよいという人がいます。その個人の考え方を頭の中で展開するうちは思想の自由であって誰も文句を言いません。しかし言葉として文章として出してしまうとそれが全て自由とは限らないのです。この事実は誰しも言われればその通りだと納得しますが、実際に書かれていることは何の根拠もなくただの大きな独り言なのに敢えて「自分は正しく自由に表現してどこが悪い」とどこ吹く風です。勿論、執筆者の責任において記名を義務化すれば言えることも言えずに社会が委縮して内部告発などできなくなりますので無記名は尊重しなければなりません。しかし無記名を良いことに相手を傷つける発言や誰が読んでもそんな事言う?という表現をたくさん目にします。それは公的な新聞などの社説だってしかりです。その考えは一部であって全部ではないのにいかにも社会全体がそのように考えているという風な論調で書かれていることが多いと思っているのは私だけでしょうか?

話が逸れてきましたので元に戻しますが、頭の中で考える事はあくまでも一個人の中からでませんので思想の自由は他人があれこれ関与することではありません。しかし表現の自由は多くの人々が目にするわけですから自由の中に制限があります。それを勘違いしている人もいることが問題なのです。それが挙句の果てにイジメなど陰険な問題につながり境界が見えにくくなりどんどん拡散されて収集がつかなくなり傷つく犠牲者がでてくることもあるのです。そこを投稿者はぜひ考えなければいけません。その場の思い付きで書いても一度書いたことは後戻りできずにどんどん拡散します。最近は訴訟になることも多く誤った表現を消せる権利という事例が登場しましたが、それでもネット大手のIT企業は表現の自由を盾になかなか消せる権利を認めません。それが真実かどうかは二の次でいつも表現の自由という言葉で逃げます。その企業の中でも心ある人は多くいるはずですが、企業の総意となるとバカの一つ覚えで表現の自由となるのでしょう。

最近、世の中が誰でも自由にSNSの投稿ができてそれを誰でもフリーアクセスで行き来できるというとても便利な時代になりました。しかしその自由な表現が本当に自由に則った表現ならよいのですが、投稿の中にはかなりの数の履き違えた自由な表現がまかり通っています。そのような誤った文章を読むと読んだ側もいい気はしません。「それなら読まなきゃいいじゃないか」と言う意見が出てきますが、それこそが誤った考えを更に助長するのではないかと思うのです。

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生き甲斐

先日、NHKの朝のニュースでヨーロッパを中心に「生き甲斐」という本がベストセラーになっているという特集がありました。「今更なんで?」と言いたくなるのですが、話を聞いていくうちに「なるほどね」と思いました。まずこの「生き甲斐」という本がフランスとスペインでベストセラーになったのですが、その作者はスペイン人で13年前に仕事で来日しています。仕事はIT企業で来日後も忙しく自分の存在価値を見失いそうになったそうです。自分も含めて仕事に忙殺されて「なんでこんなことばかりしている自分がいるのだろう?」と思ったことは誰しも一度や二度はあるのではないかと思います。でも結局その答えを見出せないまま忙しい日々を過ごしていつの間にかその命題は忘れ去られてしまいます。作者はその時たまたま沖縄の長寿の島に渡って島の人々が生き生きと笑いの絶えない生活を送られていることに驚いたそうです。では「なぜそのような笑いの絶えない生活が送れるのだろうか?」と注意深く観察して作者なりの見解をまとめた本が「生き甲斐」という本なのです。それが瞬く間にヨーロッパ中に広まったそうです。テレビで今回その内容を簡単に10分でまとめられていましたが、「何を今更?されど今更」というシンプルな考えに私も目から鱗が落ちました。

まず日本文化と西洋文化でヨーロッパには「生き甲斐」という言葉が存在せず、アメリカでもその言葉にあたる訳は「meaning of lifeで生きる意味」だそうです。それもぴったりとはあてはまらないようです。なぜあてはまらないかというと西洋文化は「仕事とプライベート」をきっちりと分離する文化です。一方で日本では仕事とプライベートの線引きがなかなかはっきりしません。ですから仕事の内容や時間の延長線上に自分の人生観や価値観が連動してくることが多々あります。それは日本人の誰しもが認めるでしょう。そこで「生き甲斐」とは1)得意な事をする2)好きな事をする3)社会貢献をする4)収入が得られるという4個の集合を全て満たす部分に「生き甲斐」が存在するのです。これはなるほどです。前出の長寿島の人々が凄いことをしているわけではなく、その4個を全て満たしているために島民の笑いが絶えずに生き生きとしていると結論付けています。

定義は人により異なりますので全て正しいとは思いませんが、自分にあてはめると長年熟考してきたことに一致する部分があるのです。今の自分にとって134)はあてはまるのですが、2)好きな事をするということがどうしてもしっくりきません。よく「好きなことをしてそれが仕事になった」と聞くことがあります。それがどうしても自分の中で腑に落ちないのですが、逆にとても羨ましく思うのも事実です。今回の特集をきっかけに「これからの残りの人生を全うしていく上で好きな事は何か?」という命題を以前からの自分が問い続けてきたのだと改めて気付かされました。そして自分がずっとこれからも探し続ける命題は「生き甲斐」なのだとも思いました。見つけられるかどうかは現在の状況や残り人生から考えると不可能かもしれません。しかし諦めるつもりもありません。

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