短い秋

暦の上では9月から11月までが秋です。24節気で言えば立秋の意味は朝夕が涼しくなり秋の気配が立つという意味で8月8日から15日までのようです。今年の立秋はオリンピックの最中で死ぬほど暑かった記憶しかありません。昔々温暖化とは無縁だった時代に貴族たちが和歌を詠んで季節の風情を楽しんでいた時代ならいざ知らず、温暖化に直面した現代人の季節感との乖離は甚だしくあまり役に立ちません。一方で今年の立冬は11月7日でした。これは秋が短かった北の地方ではドンピシャ季節感が漂っています。しかし暖冬が多く雪も少ない南の地方では立冬も甚だ似つかわしくないかもしれません。この季節になると初雪観測が毎年テレビで放送されます。一番早く初冠雪を報道されるのは決まって大雪山系か富士山の初冠雪です。仕事で上京する機会は多いのですけれども機上から富士山の初冠雪を見たことはなく、一度は見たいと思っていますがなかなかそのような機会に恵まれません。

大学時代に私は講義を休んで11月1日から5日までの連休を利用して北海道一人旅をしました。当時は学生でスカイメイトという学生割引があり羽田-札幌間の値段が1万円くらいでした。現在の格安航空券の値段からみれば変わりないのですが、当時はかなりの格安だったと思います。それも乗った便の普通席は満席でたまたまボーイグ777の2階席のプレミアムクラスのみ空いていましたので2階席を割引価格で乗れたことはラッキーの一言に尽きます。1985年11月1日東京は雨でした。しかし機上の私は青空を見ることができました。新千歳空港に降り立った私は北海道内空港である丘珠空港に移動して稚内行に搭乗しました。北海道は晴れていましたので札幌-稚内間を機上から眺める大雪山系の紅葉は格別なものでした。翌日11月2日は日本最北端の地である宗谷岬に行きました。最北端の岬は小雪が舞い一時は吹雪いて気温は摂氏0度でした。旅の4日目には霧の摩周湖に行きました。霧は全く無く快晴でしたが、あたり一面は雪に覆われ銀世界でした。当時は11月といっても現在と違って本当に寒かった記憶があります。その寒暖差で紅葉が一段と映えるのです。しかし現在は温暖化であまり寒さが感じられなくなりました。冬は当然寒いのですが、その境目の秋を感じにくくなったというのが正しい表現かもしれません。11月初旬にまともな紅葉や雪を見たければ北海道の大雪山系か日本一雪深い青森の酸ヶ湯に行かなければ見ることができないかもしれません。

昔は普通に見ていた紅葉、身近な記憶では公園に紅や黄色の落ち葉の絨毯ができその至る所にドングリが落ちていてそれを子供達と拾いに行きました。そのドングリ公園は私にとって忘れることのできない子育てアルバムの1ページなのです。子供達は覚えているかどうかは定かではありません。我々世代の秋とは山崎八幡宮の秋祭りから始まり体育の日前後の小学校の運動会、そして梨狩りやリンゴ狩りを経て紅葉を見るのです。四季のある日本人の心にとって秋はとても大切な季節なのです。短い秋、それは悲しい事実なのです。

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トランプショック

今年の夏前にはアメリカ大統領選挙で共和党の候補がトランプ氏に事実上決定していましたが、身内からも支持できないとその後もおおもめでした。民主党のクリントン氏と共和党のトランプ氏の対決ではなく、どちらがより嫌いかという消去法の歪んだ構図となってしまいました。海の向こうのお祭り騒ぎですから日本では自分も含めて面白がって見ている人も多かったのではないかと思いますが、本選が近づくにつれて「もしトランプ大統領になったら日本はどうなるのか?」という話題が徐々に大きくなってきたのも事実です。

このような対立構図はかつて日本でも似たようなケースがありました。規模や中傷合戦の派手さは異なりますが、小泉元総理の郵政解散選挙です。当時は自民党内部で対立となりホリエモンなどの刺客も登場して結果的に選挙は大いに盛り上がりました。もう10年も前になりますが、その当時はワンフレーズ名人の小泉元総理の圧勝でした。その結果、自公は過半数を獲得して郵政民営化は進められましたが、その後なんとなく玉虫色になって郵政民営化も色褪せてしまいました。今の世の中は細かいことをゴチャゴチャ言わずに「右か左か」と答えを出す方が勝ちやすいのではないかと思います。そして思慮深く考えることを苦手とする18歳以上の全ての世代が勝ち馬に乗りたがろうとします。言葉使いの荒っぽさではトランプ氏が小泉元総理よりも更に上手で差別ともとられかねない発言も多いのですが、そのワンフレーズにより最初は泡沫候補と呼ばれていた彼が共和党の指名争いを勝ち抜きました。トランプ氏が目指す公約でメキシコとの国境に万里の長城を築いてイスラムや移民を拒否してTPPに反対して日本車に高い関税をかけて日米安保による米軍の日本駐留費を全額日本負担にすれば米国は一人勝ちして孤立の道へ突き進みますが、その彼の姿は北朝鮮の指導者とあまり変わらなくなるのではと感じるのは私だけでしょうか?

そして本選挙でも本当に大どんでん返しでトランプ大統領の誕生です。最後の最後には消去法により反トランプ氏で結束した民主党のクリントン氏に勝ってほしいという大方の日本人の期待も裏切られました。米国民の思慮の裏側にもっと重要な意味があるのでしょうか?これでトランプ大統領の公約ができもしない事だとわかっていても、アメリカが風邪をひけば日本も一緒に健康保険証を持たずに病院に行かなければなりません。この状況は日本の衆参ねじれ現象と相通じるものがあります。そして最後は妥協点の落としどころを模索して中途半端な決断しかできずに、有権者からやっぱり期待していたけど嘘つきトランプ大統領と批判が噴出するかもしれません。そして結局そのつけを誰が払うのかというと国民が払うのです。郵政民営化でも一部はうまくいきましたが、結局うやむやになりました。リーマンショックで10年という歳月を無駄にしました。日米安保という基軸が崩れたら東アジアはどうなるかは自明の理です。今後も米国の核の傘下にある日本としてはトランプ大統領についていくしかありません。トランプショックという不安の門出となりましたが、民間経営者出身の成功者として常識あるトランプ大統領に期待したいと思います。

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再びスピードラーニング

20年前に私は英会話の必要性を身に染みて感じていましたので10万円ほど支払って1年半ほど英会話教材を購入しました。後に新聞や雑誌でゴルフの石川遼選手が宣伝しているスピードラーニングという教材です。当時からただ聞き流すだけでOKという宣伝文句に惹かれて購入したのです。学問に王道なしという格言がありますが、敢えて語学に限っては「自国語を習得するのに王道などなくただただ時間をかけて聞き流すことだけで赤ちゃんが喋れるようになるのと同じ理論」という殺し文句に惹かれたのです。以前ブログにも書きましたが、最初は英検を取得しようかとも考えたのですが、その場合読み書きも伴うのでまた辛い勉学になることを自分としては避けたかったのです。当時はまだカセットテープを購入して車に乗ったときのみ聞き流すという手法でチャレンジしました。しかし石の上に3カ月で面倒になり1年で挫折して3年続きませんでした。その後テープは時代とともにCDに取って代わりどこかにいってしまい20年の時間が経過しました。

今では昔と違ってCDで聞くのではなくスマホなどの機器で聞く時代になりました。自分もスマホやiPodなど文明の利器で再度挑戦してみようと思い立ったのが、最近英検についてブログを書きながらたまたまHPで石川遼選手のコマーシャルを見たからです。20年ぶりの挑戦ですが、最初は昔と同じようにCDを車に流す予定でしたが、今ではそのデータをPCやスマホに取り込んでありとあらゆる場面で「暇!」と思った隙間時間に流して聞くというスタイルに変えてみました。9月の初旬に申し込むとすぐに送られてきましてそれから毎日コツコツと聞いています。毎日車に乗ることはありますので、聞き流しで30分程度は確保できています。今までは運転中はラジオを聴いたりしていて無駄とまでは言いませんが有意義な時間にならずに毎日もったいないと思っていましたので毎日最低30分の時間の有効活用ができるようになりました。その教材の冒頭にも石の上にも3年と書いてありましたので今回は30分x3年になりおよそ合計550時間で3週間に相当します。ブログは週1回で書き続けて5年でおよそ300回に迫ることができましたのでこの意地の張り合いを今度は語学に挑戦しようと思った次第です。今回は文明の利器のおかげで多くの無駄な隙間時間を見つけることができ実際にはもっと聞き流し時間は増えていきそうです。「3年後には俺も外人とペラペラ?」と夢を追いながらがんばる予定です。子供たちには「英検を取得した方が何かと都合がいいぞ」と言っているもう一人の自分がいますが、自分のためには英検ではない別の道で語学を極めてみたいと思います。ちなみに今回は1年分をまとめてセット割引価格の5万円で前払いして自分を追い込みました。

かの4000本ヒットを打ったイチローが「毎日の積み重ねこそがとてつもない大記録への唯一の道である」と言っていた名言を思い出します。野球聖人に近い人物の発言はもうある種の格言に近いものがあります。学問に王道なく近道もなく継続こそが力なりを信じてスピードラーニングを続けてバイリンガルならぬバイリン親父になりたいと思っています。

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アルバイト

長女が週数日間ですがアルバイトを始めました。学業に支障をきたさない程度に小遣い稼ぎをして同時に世の中の現実のしくみを知るにはとてもよい社会勉強です。またお金の大切さを知ることもできます。以前自宅で次男の数学と英語の勉強を見るアルバイトをさせましたが、それはあくまでも身内ですので甘えがあります。それでも大学生は家庭教師が一番楽で稼ぎのよいアルバイトではないかと私は考えていました。しかし今回は敢えて長女は家庭教師を選びませんでした。なぜ?と不思議に思って家内が聞いたところ弟の勉強を見ていて自分は絶対に向いてないと確信したそうです。別にそこまで厳格に思い詰めなくてもと感じましたが、それはそれで尊重しなければなりません。世の中の家庭教師のアルバイターがそこまで真面目ならもっと受験生は賢くなりワンランク上の学校を狙えるかもしれません。それはさておき何のアルバイトを始めたかというと家内が「やるならスーパーなどの対面販売のアルバイトが一番世の中のしくみや人間の性を見ることできてお金のありがたさがわかる!」と勧めたので、駅前のデパ地下の惣菜売り場でアルバイトを始めました。時給はまだ学生ですからたかが知れています。しかしその貴重な経験が必ずや長女の将来に役立つと信じています。アルバイトができるのも時間の余裕のある教養時代だけで専門の実習に入ったらそんな時間など到底ありません。今回の娘の英断には敬意を表さなければなりません。

ところで私は学生時代にアルバイトをしたことがありません。自分もする気はなかったし周囲もする雰囲気はありませんでした。高校の友人とその話題になると自然と避けていました。なぜなら周囲からは「金持ちのボンボンだから」と言われるに決まっていたからです。自分で納得できる答えが見つかるまで沈黙していたと言った方が正しいかもしれません。自分にとっての正答を22歳になって得ることができました。私の中学と高校の友人で大学は仙台に行きましたが、卒業して就職で上京してきました。その時はまだ私は学生です。彼の実家は決して裕福ではなく普通の家庭でした。その彼が「俺は大学生の4年間という貴重な時間を親に買ってもらった。そんな貴重な時間をアルバイトで一時的な小遣い稼ぎなんてもったいない。だから俺はアルバイトをしなかった」と言ったのです。アルバイトに関して少し後ろめたさを抱いていた私にとっては大いに前向きにとらえることができた一言でした。その後アルバイト談義で彼の名言をよく借用させてもらいましたが、それに少し自分なりのオリジナルを付け加えて「明日の食扶ちが困るほどの学生ならいざ知らず、そこまでの学生は普通そんなにいない。それなら数年先には嫌というほどお金のありがたみが身に染みてわかるのだから、そんなに急いでお金を稼いでどうするの?それより今は学生という身分でしかできないことをすべきだ!」と言い訳をしていました。娘の場合と自分の言い分は異なりますが、どちらが正しいかはそれぞれの置かれた時と立場で変わってくるのです。ニートにならず普通に生きればいずれは仕事に就くのですから。

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高校の運動会と文化祭の開催時期に軍配を上げる

私の母校の徳山高校は当時から9月の初旬に運動会で中旬に文化祭がありました。今でも大きく変わりはありませんが、運動会と文化祭が若干の前倒しになっています。「このくそ暑い時期に熱中症対策はどうするの?」と現在では教師や父兄が心配しますが、当時は熱中症なんて言葉すら知りませんでした。この30年で地球温暖化の影響が大きくなったのでしょう。また当時から高3の応援団になると夏休みから練習でかなり大学受験の勉強時間に影響したかも?しれませんが、それでも合格するやつはそれからがんばり東大に行きました。現在の少子化で過保護の世の中では秋の運動会で応援団をしようものならある学校では浪人覚悟とレッテルを張られかねないようです。それも変な話なのですが、現在の一部モンスターの父兄の圧力に耐えながらも我々OBも含めた父兄の後押しもあり頑なに秋の運動会や文化祭を押し通しています。この点に関しては立派で拍手を送ります。

それでは自分の子供を地元に行かせなかった親としての立場で秋の運動会と文化祭について語ってみます。上の子供たちの高校は6月の下旬の梅雨の最中ですが、公共の大きな体育館を使用して観客席も十分にありクーラー完備で高2が応援団をします。高3は運動会の練習などの準備をせずに参加して最後の花道を飾ります。10月下旬の文化祭には高3は参加せずに受験まっしぐらです。しかし今年の長男の高2は学校の校舎建て替え工事で最後の高校生としての文化祭が中止となりました。学校の建て替えという理由が理由だけに仕方ありませんが、10月下旬に1日だけの簡素な代替フェスティバルが施行されたようです。来年6月が高3最後の運動会になります。しかし一般論として6月の雨と熱中症を心配せずに運動会をしてその後半年間の受験モードへの突入は理想的でしょう。次に次男の運動会は以前も書きましたが昭和の日にあります。それは遠くからの寮生の親が参観するにはベストです。ただ唯一おかしいなと思ったのは4月でまだ新学期が始まったばかりなのに高3は参加できないのです。これはいくら受験モード10か月前とはいってもやり過ぎではないかと他の父兄も同じ思いのようです。勿論、秋の文化祭には高3は参加しないのは理解できますが、春の高3の運動会不参加は到底理解できません。これも学校側として頑なになる理由があるはずで過去に何度も父兄と議論になったようです。

そして立行司がどの高校の勝ちか軍配をあげなければいけません。4月の高3の運動会参加を認めれば間違いなく末っ子の高校でしょう。しかし現時点では長男の高校に軍配が上がります。我が母校の頑固さをOBとしては支持しますが、理想は春に運動会を変え高3が応援団として参加し、秋の文化祭は高2までが準備をして受験モードの高3はお客さんとしての参加で決まりでしょう。もう少し改革が今後必要です。毎年この10月下旬には長男の学校の文化祭に出かけていたのですが、今年はないので最後の文化祭を謳歌できない今年の高2の気持ちを代弁すればなんとも可哀そうです。仮に浪人しても応援団や文化祭の青春の思い出は歳をとって振り返ってみれば1、2年なんてたいしたことはないのです。

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