年金機構の情報流出とマイナンバー

先日、年金機構がまたやらかしました。個人情報流出です。最近はベネッセなど情報流出が後を絶ちません。個人情報保護法は必要な法律ですが、いたちごっこのように情報流出のトラブルが続いています。折しも来年からマイナンバー制度が始まります。神様が空からみているのかな?と思うほど絶妙なタイミングでの不祥事です。ローカルな個人情報問題として3年前に中学の同窓会名簿作成の際にもこの問題がでてきました。同窓会事務局としてできるだけ多くの同級生に出席してほしかったため個人情報を集めようとしましたが、事情があって住所など個人情報を知られたくない同級生もいるわけです。しかしいろいろなルートを駆使して情報を集める側はそこまで相手の状況を配慮することは到底不可能です。後で本人から知られたくなかったと言われてしまうわけです。というわけでそのようなローカルな個人情報でさえも問題になりかねないのですから、今回の年金機構の流出問題の影響は計り知れません。500円の図書券でごめんなさいと民間会社なら許しをこうわけですから、国はそのぶん減税でチャラにしてくれるのでしょうか?それとも職員の厳正な処分や減給により浮いたお金で図書券を買って個人に郵送してくれるのではないかと淡い期待をしています。それは絶対ありえないでしょう。また最近は電話での問い合わせも困ります。ちょっとした個人情報、例えば職場の連絡先などの問い合わせも電話の相手は成りすましの犯罪者かもしれません。ましてや「刑事です」と名乗られて身元確認のために電話で問い合わされてもうかつに信じることもできません。それがもし成りすましだったら教えたやつが悪いと後から本当の警察官から文句を言われるに違いありません。

いつからでしょうか?盗人が悪いのはいつの世も同じですが、盗まれた方もちゃんと盗まれないようにしてなかったから悪いと言われ始めたのは。特に大企業や市町村などの公的機関がターゲットになりやすい。逆に個人ではそこまでは追及されにくい。しかしこの便利なマイナンバー制度ができると今度は本当に中小零細企業もスタッフのマイナンバーを扱うようになるために盗まれるとお咎めになるという法律です。このシステムは医療情報の一元化で医療費抑制と言う厚労省や税金聴取の徹底化という財務省の悲願でもあったわけでいいように使えば本当に日本国のためになる。一方で悪用されれば日本の大切な情報が海外のはげたか軍団の食い物にされるかもしれないわけです。そしてマイナンバーの利点は個人情報の共有を縦割り行政から横断的に管理できるため相当な無駄を省けることです。医療でいえば他の医療機関で行われた検査を個人の承諾さえあればネットで閲覧できて検査の無駄をなくせますし重複の薬もすぐに調べてすぐに中止できます。しかし逆に漏洩すると個人の病気などが筒抜けになり最悪ネットで個人の病気閲覧ができるようになります。平等をうたった税金徴取も末端の年金受給者からはきちんと消費税のように取りたてられ、悪者の脱税者の取りたてまで本当にできるのかが疑問になってきます。いつの時代も弱者は切り捨てられてつらい思いをするのがこの世の常なのでしょうか?

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佐賀の同志に会いに行く

先週、一昨年秋に開業されたDrの診療所を見学してきました。そのDrとは4年前に仕事を通じて知り合い今回開業されたので一度見学したいと思っていたところちょうどよいタイミングで訪問することができました。知り合いといっても種類がたくさんあります。子供の頃からの友人や親友、大学時代の旧友などと友人というカテゴリーのジャンルは同じでも頭の中の引き出しは別々に整理されています。社会人になるまでは仕事関係の友人は表面上だけの付き合いで結局は学生時代までの友人の方が長い付き合いができるのでは?と思っていました。確かに年賀状などのやりとりは一生ものです。しかし遠い親戚より近くの他人という名言があるように、結局仕事を始めてからの狭い業界の中で知り合った友人の方がいろいろな意味で一生の付き合いが続きます。しかし友人または知人であって決して親友ではありません。そして友人という語彙も自分の中でピタッときません。そこで思いついた言葉が同志です。生い立ちから社会人まで全くの見ず知らずの他人で仕事上の繋がりをきっかけにして交流が始まる。しかしプライベートはお互いに一切立ち入らず、仕事の延長線上の飲み会でもお互いの仕事上の不安や不満をぶちまける関係。ときにはプライベートな会話が少し入り込んでくることもあるけれどもすぐにお互いにサラッと流すような関係。それ以上お互いに入り込まないけれど通常の仕事だけの関係よりは進化した関係。それが自分の頭の中で語彙を探していくうちに「同志」という言葉に行き着いたのです。今回はそのような同志が一昨年開業されたので見学に行ってきました。

行ってきたのは佐賀県鳥栖市です。博多までは度々行きますが、それ以上足を延ばすことは滅多にありません。家族旅行や出張で熊本や鹿児島に行ったくらいです。博多から新幹線の駅では次になります。新幹線に乗れば徳山と新鳥栖間はおよそ1時間ちょっとで到着です。あらためて新幹線の便利さを実感する瞬間です。いつもは九州新幹線で素通りする駅ですが、生まれて初めて新しい土地に足を踏み入れる瞬間と言うのは何とも言えず心地良いものです。今回見学させていただいた同志も開業医としては新米です。しかし医療を取り組む姿勢を見ると遠い昔に私も持っていた懐かしい記憶が蘇ってきました。この見学は情報収集よりもある意味で昔の自分を思い出す旅でもあったわけです。歳をとってくると旧友に何十年ぶりかに会って昔話に花を咲かせるのも楽しいことですが、数年に1回で十分でしょう。なぜならこの何十年間のお互いの生き方を知らないわけですから、そこで共通点や妥協点を見出すとしたら家族や仕事や思い出話など話題は限られますよね。そしてなによりも昔の印象を大事にしたいのでそれ以上話題を掘り下げても仕方ない。むしろ自分の表面的現状を知る同志の方が現在進行形の自分には必要なのではと思います。そして以前にもブログに書きましたが、死ぬまでずっと自分の最大の理解者であり最高の同志とは配偶者でそれに勝る者はいないと確信しています。今回は生まれて初めて降り立った新鳥栖駅を掲載します。昨日まではサガン鳥栖くらいしか知りませんでした。

新鳥栖駅

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大学の同級生に27年ぶりに会う~その2

そして再会の日まで毎日普段通りの私の時間が過ぎていきます。速くもなく遅くもなくほどほどに。1週間前というタイミングがちょうどほどよい時間間隔だったのでしょう。その間何を話そうかとあれこれ考えてはみましたが、会えば一気に27年前にタイムスリップします。考えても仕方がないのはわかっていますが、それでも気になります。ただひとつだけ聞きたかったこと、それは50歳もとうに過ぎて少し先が見え始めた今「当時、東京に残らずに長崎に戻ってよかった?」その一点のみです。その時の思いを四半世紀経った今こそ聞いてみたいと思って再会しました。「なぜそんなことを聞くのか?」と皆さん思うでしょう。隣の芝生が青いかどうかを確かめたかったのだと思います。

再会!やっぱり風貌は歳を食っても一瞬でお互いにわかります。あとは彼の4半世紀の活動内容の講演を聞いた後に事前にネットで調べておいたバーに直行です。金曜日なら田舎でも朝3時まで開いている店もあるのだと感心しながら、学生時代に戻ったつもりで話します。店での27年ぶりの乾杯!とても心地よい瞬間でした。あとは今に至る自分の歴史をお互いに紐解きながら語り合います。あっという間に夜は更けていきます。

翌朝。昨夜はあまり寝ていませんが、私は土曜で仕事です。彼は午前の新幹線で長崎へ帰りますが、帰る前に彼は当院を見学に来ました。朝のバタバタの時間帯を避けるために始業30分前に来てもらって慌ただしく案内をします。山口銘菓の生外郎を昨日彼に持たせています。二日酔いよりも睡眠不足の方が50歳を超えた体にはこたえますが、普段通り診察を始めます。仕事をしながら昨夜の一瞬で過ぎ去った過去の会話を必死に思い出そうとする今の自分がいます。その中には今の自分と記憶の彼方の過去の自分も入り交ってなんとなく妙な気分です。「何を話したっけ?昔の想い出話ばかりだっけ?そして家族の事や現在の仕事に対する不満も話したかなあ?」と必死に思い出そうとしますが昨夜はかなり飲んだので酔いもまわっていて昨夜の確かな記憶がありません。

でも一つだけ聞きたかったこと、それだけはしっかりと覚えています。隣の芝生の青い件です。やはり同じ境遇で、良かれ悪かれ医者の子供でした。親の背中を見ながら成長すると好きであれ嫌いであれ医者になる確率が高くなります。そこまではよくあるパターンですが、最近は少し風向きが変わってきて偏差値が高い学生が医学部を目指します。少し違和感があります。そして親が医師という仕事をこなせなくなると2世のおよそ半分くらいは後ろ髪をひかれる思いになります。「20年前の自分はどうだったのか?」と必死に思い起こそうとしますが鮮明な記憶はありません。しかし「宿命には逆らえず仕方ないさ」と心の奥底のどこかにあったのではないかと今頃になって思うのです。彼も同じでした。それを聞いたからといって過去や未来が変わることもないのですが、何となくつっかかった重荷がとれたような気がします。同じ境遇の人は周囲に多いのですが、それを敢えてマジに聞くようなことって、多分同じ青春を学生時代に過ごした旧友くらいでしょう。

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大学の同級生に27年ぶりに会う~その1

先週地元で介護に関する講演会がありました。それを遡ること1週間前のある昼過ぎ、医師会からの配布物を整理していたら1枚のA4の紙に何となく懐かしい匂いが漂う名前が載っていました。紙ですから匂いなどありませんが、やはり懐かしい匂いを自分の脳が嗅ぎとったことには間違いありません。その講演会の講師がなんと大学時代の同級生のS君でした。同じS君で出席番号も近かったので何かと飲みに行ったり、スキーに行ったりした仲でした。彼は私より成績が優秀で「大学病院に残って研究するのかなあ?」と思っていましたが、やはり医者の息子というシガラミや宿命があったのでしょうか?私と同様に卒業と同時に地元の長崎県に帰っていきました。私が後ろ髪をひかれる思いで東京を後にしたのが27年前の5月下旬のちょうど今頃でした。当時彼がどんな思いで地元に帰って行ったのかは知る由もありません。

27年ぶりに彼の名前を見つけると「まずどうしよう?」と少し動揺しました。すぐに気を取り直して当日の予定を確認すべくネット検索で彼の現在の診療所の電話番号を調べて電話。もう心臓がバクバク。時の経過は人間の性格さえも変えてしまいます。「もし電話での対応がイマイチだったら絶対に後悔するよな」と思いながら呼び出し音を待つ時間の長さはとても長い。そして彼が電話に出た瞬間、やっぱり声は27年前に「お互いに元気で」と言ったその時の声そのままでした。「まずはよかった」と一瞬の反射的な感情です。しかし次の瞬間に「会話してもし当時の彼と大きく変貌していたらどうしよう?」とすぐさま第二弾の不安の波が打ち寄せます。その不安と闘いながら会話を続けます。その間を時間にすればおよそ数秒でしょうか?とてつもなく長い時間に感じます。まだまだ当日の講演会での彼との再会まで到達できません。「その時電話で何を話したのだろう?」と電話が終わってから思い返すのですが、どうしても思い出せません。多分話している最中はまちがいなく20代の頃の会話だったはずです。でも思い出せません。ただ「飲もうぜ」と聞いたら「いいね」と昔のまんまの声が遠くで聞こえたことだけははっきりと覚えています。講演会に出席して27年ぶりの再会とその後の飲み会の約束をしました。電話で話しながらもう一つの頭の中に彼やその周囲にいた友人や私、そして西新宿の街並みが一瞬のうちに呼び戻されてきます。当時は新宿に東京都庁すらなかった時代ですが、高層ビル群の一角は今でも私の記憶と同じ建物がそびえ立っています。そんな中で暮らした6年間、良いことも悪いこともありました。どんどん数珠つなぎのように過去の記憶が蘇ってあふれ出てきます。「ああこれじゃあ、仕事になんないなあ…」と思いながらどうにか夕方まで仕事をこなしていきます。夕刻の仕事終了と同時に「大学時代は朝まで飲んでも結構平気で無理して翌日学校に行ったよなあ」と思い出しながら「夜11時頃から飲み始めても2時頃までなら体力は持つかなあ?」と考えながらすぐさまネットで「田舎の飲み屋は何時まで開いているのだろう?」と調べ始めました。~次週に続く~

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アンチエイジング

今巷ではアンチエイジングが流行っています。テレビのCMでもネットでもあふれんばかりの広告です。昨年の大晦日の紅白歌合戦で初めて大トリを務めた歌手の松田聖子さんのあのしなやかな肌、あれは間違いなくアンチエイジングの賜物と思います。昔学生時代に武道館に聖子ちゃんのコンサートに行きましたが、観客席から舞台までは100mもあろうかという遠くから見ましたので、もし今回の紅白が同じシチュエーションだったら、別に聖子ちゃんはアンチエイジングしなくとも十分に観客は欺けます。しかしハイビジョン技術を駆使して8Kというとてつもない高画質を開発しているNHKです。今回は通常のハイビジョン紅白でしたが、アップになれば皺やシミなどもクッキリと見えるはずです。そのため芸能人は美容整形からアンチエイジングまで体への資本投資の手を抜くことはできません。時代の流れか1億人総中流思考のためか一般の人々にもアンチエイジングの波が押し寄せてきています。医学の進歩も手伝って昔はシミ取りや少し鼻を高くすることが主体でしたが、現在は細胞を若返らせると謳っています。実際にiPS細胞など駆使すれば本当に細胞が若返ってしまうかもしれません。そうしたらある日突然昨日までのおばあさんがマダムに変身してしまう時代がくるかもしれません。

しかし、ちょっと待ったー!です。分子生物学的に原子が分子を形成してそれが細胞となり生命となります。そこには何億年もの時間の経過という進化が重なっています。その進化論を逆行するかのようなアンチエイジングには反対です。女性がささやかに少しシミを取る程度の世界ならよいと思いますが、現在の医学の進歩からするといずれ遺伝子レベルでの時間への逆行つまり人類創生の神への逆走にも見えるわけです。あたかも高齢ドライバーが高速インターを逆走して事故を起こすかの如く。今、海外では遺伝子検査で生まれてくる子供に格差がつく可能性もでてきています。勿論、世論や専門家は反対していますが、一方でそれを肯定しようとしている人々もいます。この流れが大きな潮流になったとき、本当に人間は神の領域を侵すことさえしてしまいかねません。その歯止めともいうべきルールを今からしっかりと作っておかなければなりません。現在、医療界でも細胞を若返らせるとか皺を取るなどの美容療法から細胞生物学までの領域のアンチエイジングがごちゃごちゃになっていて一般の人はその区別がつきかねる状況です。たとえば点滴の中に多くのビタミン剤をいれる自費診療があります。当院ではしていませんが、それくらいのアンチエイジング行為ならかわいいものでしょう。しかしそれがどんどん膨らんでいくとどこかで歯止めも必要ではないかと思うのです。

医療に携わって長くなりますが、高齢者はやはり皺があってその皺の数ほど脳みその皺も増えて肉体は衰えても人間的には賢くなる。そしてアルツハイマーなどの認知症で皺が変性していくのを防ぐアンチエイジングは大切ですが、昨日の皺くちゃのおばあさんがいきなり今日は肌がツヤツヤのマダム、あなたならどう思いますか?先日、患者さんからいただいたバラです。人間の美意識追求は花をも凌駕する勢いです。

バラ

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